バブル崩壊で守った熊谷守一の「価値」 画廊の100年

阿部英明
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 岐阜市の柳ケ瀬画廊が創業100年の記念画集を刊行した。3代目社長の市川博一さん(65)が本格的に手がけたのが、岐阜県出身の画家熊谷守一(1880~1977)の作品の売買で、全油彩画の約2割を扱い、偽版画の監視にも力を入れるなど価値を守ってきた。熊谷にのめり込んだきっかけは、1990年代のバブル崩壊だった。

 柳ケ瀬画廊の前身、市川商会は1919(大正8)年、祖父の寿一さんが創業。岐阜県最大の繁華街・柳ケ瀬では映画や芝居が盛んで、役者のブロマイドや絵はがきなどが売れた。

 2代目の父・喜朗さんが洋画を取り扱うようになり、70年に現在の屋号に。文豪・武者小路実篤日本画の利用契約を交わし、「岐阜に素晴らしい作家がいる」と紹介してもらったのが、熊谷だった。

 熊谷は、岐阜県付知村(現・中津川市付知町)で生まれ、3歳から17歳まで岐阜市で育った。

 虫や草花、猫など身近な生き物や自然を明るい色彩と太い輪郭線で描いた。喜朗さんは、晩年の熊谷と接点があり、「『岐阜から来ました』というと熊谷先生の表情が変わった」という話を聞いたという。

 父を支え、90年には15億円を売り上げたが、バブル崩壊で絵画の価格が急落。数億円の債務超過に追い込まれた。

 その一方で、東京の画廊が主に扱っていた熊谷作品の売買の話が、地方にも来るようになった。

 作品を画廊の壁にかけてみると、何とも言えない清涼感に包まれ、体が軽くなるような気がした。魅力に引き込まれ、「熊谷守一と言えば柳ケ瀬画廊と言ってもらえるようにしたい」と決心した。

 熊谷の油彩画は生涯で約1200点と言われる。昨年6月時点で、その2割の243作品を扱った。毎年春と秋には画廊で熊谷の作品展を開き、海外の愛好家や若い世代にも知ってもらおうと、「アートフェア東京」にも毎年出展している。

 熊谷作品は個人所有が比較的多く、展覧会の作品集めに苦労する面がある。市川さんは美術館などから頼まれると、築いてきた美術愛好家とのネットワークを生かして「貸してほしい」と頼んで回る。何千万円もする絵を表に出したくないと渋られると、「美術館に飾ると、絵の違った一面にきっと出合えますよ」と口説く。

 熊谷人気とともに、90年代から偽版画が流通し始めると、妻の武代さん(62)と版元や所有者を訪ね、2007年に「熊谷守一生前全版画集」を企画、制作。09年には熊谷の次女・榧(かや)さんと契約し、違法複製物の調査にもかかわった。

 武代さんがホームページで偽版画を売っている工房を見つけ、弁護士と工房を訪ねて納品書などから著作権侵害の状況を明らかにしたこともあった。「作品の価値を守りたい。情報収集は続けています」と市川さんは語る。

 これまで集めた熊谷に関する資料は、学芸員資格を持つ長女の瑛子さん(36)が中心になり、「長良文庫」として管理。4月に刊行した「柳ケ瀬画廊の百年 熊谷芸術と資料」(求龍堂)には、取り扱った油彩画の全作品、日本画と書の一部を収録した。

 熊谷作品を所蔵する天童市美術館山形県天童市)の池田良平館長は「『画家の作品はいずれ故郷に帰る』という言い方がある。柳ケ瀬画廊は、画廊が画家を育て、支えるという形ではないが、熊谷の作品を多く扱い、評価を支えてきた」と話す。

 市川さんは「全国で企画展が開かれ、熊谷作品を語れる学芸員も増えてきた。これからは自分たちでも企画をたてていきたい」と力を込めた。

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 20日まで、創業100年記念の「ピカソ リノカット展」を画廊で開き、ピカソ作品14点を展示している。(阿部英明)