渋沢栄一と製糸業創成期に活躍 韮塚直次郎の業績研究

角津栄一
[PR]

 日本の近代化と絹産業発展の礎を築いた富岡製糸場群馬県富岡市)の建設に携わり、自らも製糸場を経営した韮塚直次郎(1823~98)。韮塚の功績をまとめた研究書が刊行された。富岡製糸場初代場長の尾高惇忠(じゅんちゅう)の厚い信頼を受け、運営にもかかわった。歴史資料とともに、詳しく人物像が描かれている。

 著者は富岡製糸場世界遺産伝道師協会メンバーの町田睦(むつみ)さん(81)。約7年かけた研究成果を「甦(よみがえ)った韮塚製糸場」にまとめ、今年1月に自費出版した。元県職員で、県蚕糸振興協会副理事長も務めた。

 富岡市によると、韮塚は渋沢栄一と同じ現在の埼玉・深谷出身。富岡製糸場建設に際し、瓦やれんが、石材などの資材製造や調達を担い、工女の募集にも力を発揮した。開業後は食堂運営を任された。

 町田さんによると、直次郎は両親が働いていた尾高家で生まれ、20歳から8年間、住み込みの奉公生活を送った。直次郎と惇忠はきょうだい同様の生活をして強い信頼関係が築かれた。公私にわたる親交は50年以上続いたという。

 明治政府から富岡製糸場の建設責任者を任じられた惇忠は、れんがの製造という難問に直面し、親分肌で面倒見のいい直次郎に任務を委ね、製糸場運営にも協力を求めた。

 その後、直次郎は1876(明治9)年に、個人で製糸場を設けた。町田さんは、「当時、生活に困窮していた旧藩士の子女らに働く場を提供しようと考えたのでは」と推測する。

 韮塚製糸場は3年間で操業を停止。約140年後、遺構が老朽化した長屋に姿を変えていたのを、町田さんが発見した。きっかけは県立図書館で閲覧した「明治の日本」に載っていた「韮塚直次郎製糸場」と説明が付いた写真だった。

 製糸場の所在地は不明だったが、富岡製糸場の正門近くにある長屋が建物とよく似ていた。現地を十数回訪れ、富岡製糸場と同じ○印の刻印が入ったれんがを見つけた。写真の構図から長屋の場所に韮塚製糸場があったと思われることなど、様々な特徴から同一の建物と推察され、研究成果を論文にまとめた。

 市は2016年度に建物調査と発掘調査を始め、遺構と確認した上で、修復復元工事に着手。20年4月に完成した。

 研究書では、直次郎が乗合馬車運行事業に出資するなど公共交通網整備に取り組み、地域発展に貢献した一面も紹介されている。町田さんは「事業で得た利益を地域の人のために還元するところは、渋沢栄一の精神を引き継いでいる」と話している。(角津栄一)