「最澄自刻」と信じた秘仏本尊 住職が知った真実

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戸村登
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 天台宗の古刹(こさつ)「願興(がんこう)寺」(岐阜県御嵩町)にある国重要文化財の本尊「薬師如来坐像(ざぞう)」について、これまで伝えられてきた開祖最澄(伝教大師)の手によるものではなく、制作時期も約3世紀後の平安時代後期だったことが東京国立博物館の調査でわかった。胎内仏も存在せず、寺の住職は「本当に驚き、悲しかった」と胸の内を明かした。

 本尊は寺の宝物館「霊宝殿」に安置され、12年に一度、子年の数日公開される秘仏。寺の歴史を記した唯一の寺伝「大寺記」によると、815(弘仁6)年、布教の途中で寺に立ち寄った最澄が、疫病に苦しむ地域のために桜の木に刻んだものとされる。

 寺は兵火に二度遭い、いずれも本堂を焼失。1108年の最初の兵火では、本尊が津島神社(愛知県津島市)まで飛んで行き難を逃れたと伝わる。小川文甫住職(75)は「空を飛んでいくわけはないから、みんなで運び出して助けたのだろうと思っていた」と話す。前住職の亡父も本尊が最澄が自ら刻んだものと信じてきたという。

 昨年8月、最澄と天台宗をテ…

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