谷川俊太郎さん「五輪の詩は書けない」 感じた大会変質

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聞き手・山本悠理
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 詩人の谷川俊太郎さんが朝日新聞夕刊に毎月連載している「どこからか言葉が」が50回を超えた。連載開始は2016年9月。5年弱の間に、私たちを取り巻く環境は大きく変わった。「時代に根を下ろした言葉を」と詩を紡ぎ、今年90歳を迎える谷川さんが、いま感じることとは。連載をまとめた詩集「どこからか言葉が」(朝日新聞出版)の刊行にあたり、思いを聞いた。

 ――5年間を振り返って、どう感じられますか。

 あまり僕は振り返らない人なんでね。1960年代に「週刊朝日」で書いて、後に詩集「落首九十九」になったのが、メディアで定期的に連載した初めての経験。それは当時、自分にとってすごく冒険だったんですよね。

 近代詩のころは一編一編が屹立(きつりつ)して、それが記憶されて歴史に残っていたと思う。でも週1とか月1の連載で、初めからフロー(流れ)に乗るような書き方をしていると、詩そのものの在り方が随分と違ってくるような気がするのね。

 僕が詩を書き始めたころは、日常の言葉と詩とは距離があって、何か違う次元の言葉を作らなければいけないという意識があったのだけど、定期的に書くとなると、詩を書くということが一種日常的なものになるんですね。新聞連載だと、新聞記事の言葉とは違う文体で詩を書きたい気持ちがあって、ただやっぱり、その時代の動きというのを何らかの形で映していないとおかしいと思いますね。

 今でも新聞連載というのは僕にとって挑戦的です。「どこからか言葉が」も、自分が月に1度で50編書いたということに対しては、あまり感慨がないのね。ただ、その月その月の現実というものに、無意識のうちに影響を受けながら書いてきたとは思います。

 ――約50編の中には、時に「ICBM(大陸間弾道ミサイル)」という単語が入っていたり、コロナ禍の光景を見つめたような作品があったりします。

 特にCOVID-19の混乱があってから社会はどんどん変わってきているんだけれども、僕は出来るだけ変わったところじゃなくて、その根本にある人間や社会の在り方を書きたいという気持ちがあるんですよね。新聞記事では「人事」が大事なのだろうけど、その新聞の中で人事ではなく、あえて自然や宇宙を書きたいと。具体的に時代の言葉を書くばかりではなくて、そこに隠されている「時代」というのを言葉にしたいと考えています。詩は宙に浮いた言葉になってちゃまずくて、どこかで時代に根を下ろしていないと。

 ――本質を突く「詩の言葉」が新聞に載るということの大切さを私たちも感じます。

 社会の動きに対する詩の意味がなかなかつかみきれなくなってきたというのはありますね。言語の状況そのものが、詩をコマーシャル的な言葉と一緒に押し流しているような感じでしょうか。

 ただ、大きな出来事があった時には、普段読まない人の間でも結構詩が読まれます。詩というのはちょっと普通の散文とは違う機能を持っていて、人がそこで目覚めるものがあるのかなと思うんですね。

 この連載以前、東日本大震災が起きてから朝日新聞に寄稿した詩は、相談して差し替えたんですよね。大きなメディアで没になるにしても、詩人として、そういう時代と切り結ぶような詩が書けると良いなと思います。

 ――いま日本を取り巻く「大きな出来事」として、東京五輪をめぐる問題があります。谷川さんは前回64年の大会で、市川崑監督の記録映画東京オリンピック」の脚本を担当されました。現状をどう見ていますか。

 なかなかそれを言葉にするの…

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