歴史つなぐ聖火走者たち 東京、札幌、シドニー…

上月英興
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 オリンピックのたび、人々は晴れやかな思いでトーチを掲げ、走った。6、7日に山形県内を走る聖火ランナーの中に、その歴史をつないでいく人がいる。(上月英興)

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 南陽市を走る中学2年の荒木結心(ゆね)さん(13)と、米沢市を走る高校3年の日成(ひなる)さん(17)は兄妹。川西町で結心さんと同居する祖父佐藤嘉彦さん(75)が、1964年の東京五輪聖火ランナーを務めた。

 長距離選手だった嘉彦さんは、置賜農業高時代の陸上部顧問の指名でランナーに。大勢の観客に歓迎され、川西町中心部を役場まで駆けた。「思い出は格別なかったんだけれども、孫もランナーに選ばれた今では、ちょっと感慨深いものがありますね」と話す。

 結心さんもまた、中長距離の選手。小学生の時、800メートル競走で東日本大会3位の成績を収めた。2年前の夏、「じいちゃんが走ったなら、私も走ってみたいな」と心がひかれた。

 6日は家族を挙げて沿道に立つ予定だ。「一生の思い出になるよう、がんばって下さい」。嘉彦さんに語りかけられ、結心さんは「思いっきり楽しんで走ります」と答えた。

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 高畠町を走る伊藤藤夫さん(64)は、聖火ランナー2回目だ。72年札幌冬季五輪で、県内最初の走者を務めた。

 川西町の米農家。49年前は中学3年生で、陸上部のキャプテンだった。校内のマラソン大会は1年の時から3連覇していたという。

 新潟県から来た聖火を米坂線羽前小松駅(川西町)前で受け継ぐと、重いトーチを手に、目抜き通りを1・2キロほど走った。父親は出稼ぎ中でいなかったが、沿道はお祭り騒ぎ。「みんなが我先にと火を見たがって。野球の優勝パレードのイメージです」

 高校時代、冬に学校まで8キロの道のりを走って鍛えた。最近はランニングはしていないが、つや姫などの米作りが15ヘクタールに大規模化し、今は田植えで大忙し。「農作業でしょっちゅう小走りしている」という。

 半世紀ぶりの再登板。「少しでもみんなの元気が出るように、ニコニコと爽やかに走りたいね」

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 尾花沢市を走る大蔵村出身の国士舘大3年、笹原聖矢さん(20)は、生まれた2000年にあったシドニー五輪の聖火が名前の由来だ。「スポーツの好きな活発な子に」「聖火のように皆に見守られながら、温かく健やかに育ってほしい」という願いが込められている。

 実際、熱中したのがアルペンスキー。故郷の大蔵村肘折は、県内随一の豪雪地だ。小学生の頃から村内のゲレンデで親しみ、風を切る爽快感を楽しんだ。山形中央高時代は回転種目で全国高校総体にも出場。大学も体育学部を選び、スキー部で練習を重ねる。

 現在めざしているのは、体育の得意な小学校教師。「育ててくれた家族や周りの方々へ感謝を込めて、元気よく走りたい」と話す。