半世紀越しの夢 形は変わっても 聖火ランナー野田さん

吉備彩日
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 青森県内で10~11日に予定されていた東京五輪聖火リレーで、半世紀越しの夢をかなえ、ランナーになった人がいる。コロナ禍のため、公道の代わりに公園内を走ることになったものの、本物の聖火を手にした自分を想像しながら、最後の練習に励んでいる。

 真っ白なランニングシャツの胸に、日の丸と「TOKYO 1964」の文字が浮かび上がる。

 「うちの家宝です」。東北町の元信金職員、野田武尚さん(74)は、前回の東京五輪聖火リレーで七戸町内を走った時に着たユニホームを、今も大切に持っている。

 当時、七戸高校の3年生。聖火を持つランナーは陸上部員が務め、野球部員だった自分や他の運動部の数人は補助ランナーだった。陸上部員や聖火に異常が起きた時の備えだったのか、火の付いていないトーチを持ち、後ろを走った。

 覚えているのは、もうもうと上がる聖火の煙を浴びたことくらい。だが卒業アルバムを見ると、聖火を見ようと大勢の人が沿道に集まり、旗を振る姿が写っていた。ランナーが夢や希望を託される存在だったことを知った。

 聖火リレーにかける思いが強くなったのは、高校を卒業し、十和田信用金庫(現・青い森信用金庫)に就職した直後だ。職場の飲み会で、聖火リレーに出たことを話すと場が盛り上がったが、かえって聖火を手にして走れなかったことに悔しさを覚えた。

 「もしまた日本で五輪があったら、何としても聖火を持って走りたい」。以来、五輪のテレビ放送で聖火を見ては、思いを募らせていった。

 東京で再び五輪が開催されることが決まり、県が聖火ランナーを募集すると、すぐに応募。当選を知らせるメールが19年末に届いた時は、「ついに」と子どものように喜んだ。

 万全の体調で臨めるようランニングを始め、本番をイメージして、当日の距離と同じ約200メートルを繰り返し走った。

 しかし今月2日、走る予定だった三沢市が、公道での走行の中止を県に申し入れた。大会の1年延期を受け、中断していたランニングを1月に再開していただけに、落胆は大きく、その日は走る気力をなくした。

 結局、県内の聖火リレーは大半の市町村で公道での走行が中止になり、ランナーは代替セレモニーとして青森市の青い森公園を無観客で走ることになった。

 「今まで待ったかいがあった。せっかく作ってもらったチャンス。必ず走って聖火をつなぎたい」(吉備彩日)