「全く違う」 阪神佐藤輝に「記録弾」打たれた投手は今

伊藤雅哉
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 プロ野球阪神の大物新人、佐藤輝明内野手(22)は近大時代、関西学生リーグ新の通算14本塁打を放った。昨秋、新記録を作った際の映像は今もテレビなどで紹介されるが、打たれた投手は今、何をしているのか。どんな思いで佐藤輝の活躍を見ているのか――。

 18・44メートル向こうに「怪物」がいた。

 昨年10月18日、ほっともっとフィールド神戸であった関西学生リーグの近大―関大1回戦。延長十一回、関大の6番手で登板したのが右横手の桃尾岳宜(たかのり)(当時3年)だった。その秋にリーグ戦デビューを果たしたばかりで、もちろん佐藤輝とは初対戦だった。

 第一印象は「でかいな」。1球目の外角シンカーはファウルになったが、「振りが(他の打者と)全く違う」と感じ取った。球をバットに乗せ、角度をつけようとする独特の軌道だった。

 佐藤輝はこの時点でリーグ通算13本塁打。すでに近大・二岡智宏(元巨人ほか)の最多記録に並び、多くのスカウトや報道陣も詰めかけていた。桃尾は2球目も得意球のシンカーを選ぶ。外角を狙ったのが内に入り、豪快にすくい上げられた。やや詰まらせたことで野手は「右飛だ」と思ったというが、桃尾はすぐに天を仰いだ。打たれた投手だけが分かる感覚だった。打球はフェンスによじ登った右翼手の頭上を越え、スタンドで弾んだ。

 桃尾は早熟だった。神戸市出身。神出(かんで)小1年で野球を始め、神出中時代は硬式の神戸須磨クラブ(ヤングリーグ)でプレー。1年冬に「体の使い方が合っている」という指導者の勧めで横手投げに転向した。2年時には上級生にまじって硬式の最高峰の大会といわれるジャイアンツカップでも登板。高校進学の際には15校以上から誘われたという。滝川二に進むと、同期で内野手の高松渡(現中日)より先に試合に出た。

 だが、夏の兵庫大会を前に右肩を痛めてしまう。チームは甲子園に出場したが、スタンドで応援した。ここから苦しい時間が続く。けがをする前は130キロ台中盤は出ていた直球が20キロほど減速。3年夏は背番号1をもらったが、チームが兵庫大会4強に勝ち進む中で登板は1試合のみだった。「投げる途中で腕が止まってしまう感じがあって。今、振り返ると(思ったように投げられなくなる)イップス気味でした」。大学進学をめざし、野球とともに勉強も手を抜かなかった。指定校推薦で関大総合情報学部へ進んだ。

 関大の投手層は厚かった。2学年上に森翔平(現三菱重工West)、1学年上に高野脩汰(現日本通運)とプロ注目の好左腕がいたこともあり、2年までリーグ戦未登板。3年春はコロナ禍で中止になった。「何回もやめようと考えたことはありました」。速球派が多い中で、どう生きていくか。制球力や変化球のキレなど自分の特長を見つめ直した。秋に念願の初登板。そして佐藤輝と遭遇する。

 怪物打者との対戦は、今では誇りに思っている。一発を浴びた翌日も対戦し、外角直球を3球続けて三振を奪った。次の打席では適時打を浴びた。計3打席。「鮮明に覚えています。しっかり負けましたね。あれだけの打者と対戦できてよかったです」

 佐藤輝はその後、4球団競合の末に阪神にドラフト1位で入団。キャンプから破格の飛距離で話題を呼び、シーズンでも本塁打を量産している。5月28日の西武戦では新人として長嶋茂雄以来63年ぶりの1試合3発を放った。桃尾もテレビで見た。「すごいという感想しか出てきませんでした」。昨秋の新記録アーチの映像はプロ入り後も何度もテレビで流れた。桃尾は「仲間にいじられています」と笑った。

 野球は大学までと決めている。決断したのは昨秋のリーグ戦前だった。志望するIT企業から内定ももらった。今春、関大は新型コロナ感染拡大の影響で一部の試合を辞退したり、リーグ全体が中断したり。チームは5位に終わったが、自身は中継ぎとして京大戦で初勝利を挙げた。

 秋は野球人生のラストシーズン。「下級生の突き上げもありますけど、自分で納得する終わり方をしたい」と話す。野球から何を学んだかを問うと「野球は次のプレーを予測して動くじゃないですか。それは就職しても生きると思うんです」。即答だった。伊藤雅哉