「生き地獄」封印解く 大阪大空襲、在日女性が慰霊

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武田肇
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 約2800人の死者・行方不明者が出た第3次大阪大空襲から76年となる7日、死傷者が運びこまれた崇禅寺(大阪市東淀川区)で慰霊法要が営まれ、母ときょうだい3人を亡くした在日コリアン2世の鄭末鮮(チョンマルソン)さん(87)=滋賀県野洲市=が初めて参列した。戦争体験を長く封印していたが、本名(民族名)を名乗って自らのルーツを受け入れ、子どもらに戦争体験を話す中で「あの日」と向き合う勇気を得た。

 「昼間なのに黒い煙で真っ暗になり、死体につまずきながら逃げた。生き地獄だった」。鄭さんはこの日、境内の戦災犠牲者慰霊塔前での法要後、静かに参列者に語った。

 1945年6月7日午前11時過ぎ。米軍のB29戦略爆撃機409機とP51戦闘機138機が飛来。大阪市旭区東淀川区大阪府豊中市などに焼夷(しょうい)弾や爆弾2594トンを投下した。

米軍のB29爆撃機が100機以上参加した大空襲は、大阪では計8回あった。うち4回は6月に集中し、機銃掃射の犠牲も含め、この1カ月間の死者は7029人、行方不明者も1080人に上った。約50回に及んだ大阪への全空襲では死者1万2620人、行方不明2173人(大阪府警察局)とされる。

 当時政府は大都市の国民学校3年生以上を地方に学校単位で移す「集団疎開」を実施していたが、日本統治下の朝鮮慶尚南道出身の両親は「朝鮮人はいじめられるかもしれない」と心配して疎開はさせず、鄭さんは自宅で過ごしていた。

 鄭さんが家の前で遊んでいる…

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