作家の故・田辺聖子さんが第2次世界大戦の終戦前後に記していた日記が、兵庫県伊丹市の自宅から見つかった。万年筆で書いたと思われる字がびっしりと並ぶ日記には、日本中が戦争へと突き進む中で失われていくものや、身近に迫る破壊と死、戦後がらりと変化する社会を見極めようとする視線があった。作家として生きていく心を決めたのがこの頃だったことも、日記から読み取れる。
1945年5月31日には、防空壕(ぼうくうごう)で遺体が見つかり、弟と見に行ったとある。〈逃げおくれた死人が出てくるのは、この頃ままある習いである〉。見物人たちは遺体を前に冗談を言い合い、笑った。だれもが「死」に麻痺(まひ)していた。
第2次大阪大空襲で火の海となった町をさまようのは、この翌日だ。〈梅田新道はものすごい。(略)桜橋のあたりは、火の海だ。(略)電柱が燃えきれずさながら花火のごとく火花をちらしている。(略)人間の頭より大きい火花が、ゆらりゆらりと人魂の如く飛んでゆくおそろしい光景は一生忘れられないものだと思った〉
〈皆、上の人々がわるかったのだ〉
約8キロの道のりを歩き、母親と再会した際の様子が生々しくつづられている。
〈「聖ちゃん、家が……家が…
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