パラ代表内定、全盲の柔道家は今 「逆境は慣れっこや」

川村直子
【動画】「今を生きる ~全盲柔道家の思い」=川村直子撮影
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 「障害があると、しんどいことの連続。逆境には慣れっこや」。東京パラリンピックの柔道100キロ級代表に内定している松本義和さん(58)は、音声ニュースに耳を傾けたあと、そう話し始めた。スピーカーから聞こえてくるのは、コロナ下の大会開催を危ぶむ声だ。感染拡大で、練習の場もほとんどが閉鎖されている。

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点字ブロックの近くには看板や放置自転車が多いため、歩道の中央付近を歩く。それでもしょっちゅうぶつかるが「まぁえっか、って思うようにしてる。いちいち怒ってたら疲れるもん」=2021年5月6日、大阪市住吉区、川村直子撮影

新型コロナウイルスの感染収束が見通せず、開催の是非が改めて問われている東京五輪・パラリンピック。祝祭ムードが遠のくなか練習を重ねる、あるパラリンピック代表内定選手を大阪で取材しました。

 松本さんは全盲だ。高校1年生の頃、目が見えづらくなり、緑内障と診断された。3年生で自分のノートの文字も読めなくなった。「息子の目が見えんと知ったら、親も悲しむやろ」。そうおもんばかり、見えているふりをして、誰にも相談せず卒業した。

 40年前、社会の障害者への理解は今よりも低かった。松本さん自身、偏見を持っていた。

 卒業から1年経って視覚障害者リハビリ施設「日本ライトハウス」に入所し、視覚障害について学んだあとも、帰省するときは近所の人に知られないよう、釣りざおのケースに白杖(はくじょう)を隠した。「頭では分かっていても『障害受容』はすぐにはできんもの」

 盲学校を経て鍼灸(しんきゅう)マッサージ師の資格を取得。治療院を開業し、休みなく働いた。同世代の平均以上の収入を得たこともあったが、満たされなかった。「目が見えとったらせんでええ苦労がいっぱいある。うまくいかず悔しい、腹が立つ気持ちと、健常者に負けたらあかん、っていうプレッシャー。心が爆発しそうやった」。円形脱毛症になり、過労で倒れたこともあった。

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「感染者数が減らんなぁ」。訪問診療先の家でも、まず話題にのぼるのは新型コロナ。「オリンピック、パラリンピックに青春をかけてる選手はいっぱいいるけど、コロナも怖い」。なじみの患者が言うと、松本さんは笑顔で応じた=2021年5月6日、大阪市住吉区、川村直子撮影

 転機はパラリンピックだ。

 失明後に盲学校で始めた柔道は、松本さんにとって、周囲の手を借りずに身ひとつで戦えることが大きな魅力だった。

 ほぼ独学で技を磨いた。映像や教本などから視覚的に学ぶことはできない。練習相手に知らない技をかけられるたび、「今どうやったのか」とその場で教えを乞い、少しずつ知識を積み重ねていった。

 競技は視覚障害の程度による区分がなく、全盲も弱視の選手も体重による階級別に対戦する。苦戦を重ねたが、強くなりたい一心で、あきらめなかった。

 38歳で、シドニー大会の出場を勝ち取った。

 大会で出会ったのは、自分とは違う、さまざまな障害のある選手たち。みな自信にあふれ、障害を隠すどころか、開会式では目立つポジションをとりあっていた。何事にも積極的な姿に刺激を受けた。

 期間中、ある車いすマラソンの選手と話したときのこと。「生まれ変わって障害があるとしたら、どっちがいい?」。お互いに「自分の障害がいい!」。そう言って笑い合った。松本さんは、車いすでは何をするにも移動に苦労するだろうと思った。相手は、人の顔や風景が見えないと困るだろうと考えた。

 「あのとき、目が見えない自分をいつの間にか受けいれて、乗り越えてたんやな、って気づいた」。松本さんはそう振り返る。

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2000年のシドニー大会では銅メダルを取った。「障害があっても上を目指そうと1日1日を積み重ねる。その総決算の場がパラリンピックやと思う」=2021年5月3日、大阪市住吉区、川村直子撮影

 自分の障害は乗り越えても、人の障害は分からない。だから皆、思いやり、いたわり合う。たとえ無名の選手でも、そのひたむきな努力が、人の心を動かす。松本さんにとってパラリンピックは、そんな魅力にあふれた大会だった。

 人生を変える経験だったという。「自分は障害者や、っていう引け目や臆病さがなくなった。僕は目が見えず、できんことがいっぱいある。だからできることは何でもやろう、精いっぱいしよう、っていう考えに、心底から変わった」。その4年後のアテネ大会に出場後は、代表権獲得を逃す時期が続いたが、挑戦を重ねた。

 還暦目前になるまで体を追い込んできた原動力がある。

 「父親らしいことを十分にしてやれない2人の子どもに、支えてくれる人たちに、パラリンピックの舞台に立つ僕を見てほしい」。キャッチボールをしたりドライブに連れて行ったり、そんな「ふつうのこと」ができなかった。子どもたちは幼い頃から、自分の手を引いて歩いてくれた。

 柔道の練習相手や趣味で続けているマラソンの伴走者、自分の目の代わりとなって動いてくれる人たちに、お返しできる一番大きなことは何なのか。「みんなのおかげで頑張ってきた。その証しを見せることで、感謝を伝えたい」

 昨年、4大会ぶりに3度目の切符をつかんだ。

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コロナ下で柔道ができる機会は限られる。「練習を手伝ってくれる仲間がいてくれることがありがたい」=2021年5月4日、大阪市西成区、川村直子撮影

 新型コロナウイルスの感染拡大で、世の中は大きく変わった。さまざまな催しが中止や延期となり、日常生活でも我慢を強いられるなか、人々が東京大会に向けるまなざしには、厳しいものもある。

 最初の緊急事態宣言で、松本さんの通う練習場は一時、すべて閉鎖された。コロナ下で、至近距離で組み合う柔道の練習をしてもいいのか。宣言の解除後、悩んだ末に知人の道場を借り、週に1、2回の頻度で自主練習を始めた。

 パラリンピックに出たい気持ちはわがままだろうかと、この1年ずっと、自問してきた。松本さんは今、「多くの人が納得できる形で試合がしたい。無観客でも、規模が縮小されても、安全な大会が開催されれば」と願う。「こんな時やからこそ、僕らが障害を乗り越えて戦う姿で、誰かを力づけられたら」(川村直子)

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コロナの影響で練習場のほとんどが閉鎖され、昨年5月から公園でトレーニングを始めた=2021年5月3日、大阪市住吉区、川村直子撮影
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公園でのトレーニングに、長男の瑛太さん(14=左)がつきあうことも。「鉄棒や雲梯(うんてい)しかない場所で、僕やったらモチベーションが上がらへんけど継続してる。家では洗濯も掃除もしてくれる。かっこいい自慢のお父さんや」=2021年5月3日、大阪市住吉区、川村直子撮影
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ずっとコーチはいない。自宅でのトレーニングメニューも自分で考えてやってきた=2021年5月3日、大阪市住吉区、川村直子撮影
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58歳。「この年まで柔道をやるなんて、思いもせんかった」=2021年5月4日、大阪市西成区、川村直子撮影
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「はー、しんどい!」「あかん!」。倒れ込んでは、立ち上がる=2021年5月4日、大阪市西成区、川村直子撮影
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「今を生きる。いま置かれている環境のなかで、どう生きるかを、つねに考えています」=2021年5月6日、大阪市西成区、川村直子撮影