抱きしめた後、羽交い締め 五輪に突き進むIOCの力学
「ぼったくり男爵」。今年上半期の流行語大賞があれば、ノミネートに値するインパクトがある。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長に、このネーミングをしたのは米有力紙ワシントン・ポストだった。コロナ禍の収束が見通せないなか、開催に突き進む東京五輪。それを後押しするIOCに今、「傲慢(ごうまん)な組織」のレッテルが貼られている。
私は1998年長野冬季五輪から夏冬の計8大会を現地で取材し、IOCの金権体質や傲慢ぶりも折に触れて記事にしてきた。「国際オリンピック委員会の素顔」と題して、東京五輪招致が決まる直前の2013年8月号のGLOBEで同僚と一緒に特集した。しかし、新型コロナウイルスのようなパンデミックが起きたとき、開催国がどんな負担を押しつけられ、中止の判断すら主体的にできないかまでは想像の範囲を超えていた。時を経て、現実に直面した今だから、見えてくるものもある。日本国民の多くが今夏の開催を不安視する五輪を強行しようとするIOCとは、どんな組織なのか。そして、どういった力学で開催に突き進むのか。8年前の記事を頼りに、改めて考えた。(編集委員・稲垣康介)
バッハ氏と「五輪貴族」たち
「バッハ」という名を聞いて、18世紀の大作曲家ではなく、同じドイツ出身でも、開催国にカネの負担を押しつける五輪トップを思い浮かべる人が、今の日本には少なくないのではないか。
バッハ会長と東京五輪は、ともに13年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で当選した。その縁は曲折を経て今につながっている。
昨年3月、当時の安倍晋三首相が「直談判」で1年延期を電話会談で提案し、バッハ氏は渡りに船と快諾した。自身の自民党総裁の任期であった今秋から逆算しての「1年以内の延期」だったとしたら、収束の兆しのない今は、後悔先に立たずと言うしかない。後を引き継いだ菅義偉首相は、「新型コロナウイルスに打ち勝った証し」という看板は下ろし、根拠を示さないまま、ひたすら「安心・安全」を唱えつづけている。
1976年モントリオール五輪のフェンシング男子フルーレ団体金メダリストで、弁護士の肩書を持つバッハ氏を頂点とするIOCとは、どんな組織なのか。GLOBEの特集で実像に迫ったIOC委員は、ときに「五輪貴族」と評され、その顔ぶれは多彩だ。
東京五輪を強行しようとするIOCとは、どんな組織なのでしょうか。内部では、2013年のバッハ会長の就任後、委員の多くが会長に「わきまえた人」になり、独裁色が強まっています。また、開催国の負担はつゆ知らず、莫大な放映権料によって、無観客開催でも組織の懐は潤います。記事の後半では、こうしたIOCの実態を詳報しています。
王室・王族関係者や政治家…