堺に幕府? 「麒麟がくる」が突きつけた「将軍って何」
堺には歴史に記されていない堺幕府という政権がありました――
こんな書き出しの看板が堺市のお寺の前に立っている。鎌倉、室町、江戸以外の「堺幕府」っていったい?
「『堺幕府』は1527年から32年までありました」
看板が立つ堺市の顕本寺の菅原善隆住職(41)はこう切り出した。でもその時代は室町幕府だったはず。
「当時、足利将軍家と管領の細川家の双方で内部抗争が起きていました。室町幕府の将軍を京都から追い出し、堺につくった政権こそが『堺幕府』なんです」と菅原さん。
菅原さんが5月29日に開いたオンライン講座を視聴した。その解説によると、室町幕府と「堺幕府」が争った抗争劇の主な登場人物は次の5人。
まず、室町幕府側は12代将軍足利義晴と義晴を支える管領・細川高国の2人。対する「堺幕府」側は、義晴の兄弟の足利義維(よしつな)と、高国と家督を争う細川晴元、晴元の家臣の三好元長の3人。
どの名前もなじみがない。菅原さんの説明が頭にすっと入ってこない。
直木賞候補作家に聞いてみた
そこで、頭を整理するヒントを得ようと、この時代を描いた小説「じんかん」で昨年、直木賞にノミネートされ、次点となった今村翔吾さんに「堺幕府」について聞いてみた。
今村さんの語る「堺幕府」とは何か。そして、そもそも「堺幕府」に学術的な裏付けはあるのか。「歴史秘話ヒストリア」にも登場した天理大の天野忠幸准教授に語ってもらうと、一見関係なさそうな大河ドラマ「麒麟がくる」で信長が光秀に命じた言葉に衝撃を覚えたといいます。
「幕府という言葉を使うから…
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