文芸と論壇の「時評」筆者が対談 問われる「私」の意識

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構成・大内悟史、山崎聡
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 4月から朝日新聞に「文芸時評」を執筆している鴻巣友季子さんと、やはり4月から「論壇時評」筆者を務める林香里さん。くしくも同じ年に生まれた2人が、執筆の難しさと手応えをオンラインで語り合った。「時評」を新聞に書く難しさ、テーマの決め方、そして二つの欄に通じる意外な共通点とは――。

 こうのす・ゆきこ 1963年生まれ。翻訳家文芸評論家。訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』やマーガレット・アトウッド『獄中シェイクスピア劇団』、著書に『翻訳教室 はじめの一歩』など。

 はやし・かおり 1963年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門はメディア・ジャーナリズム研究。著書に『〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム』など。4月から東京大学理事・副学長も務める。

 鴻巣 (執筆の依頼を受けたときは)大変なことを頼まれてしまったという気持ちでした。まず難しいなと思ったのは、社会現象や時流と切り結んで書いてほしいと言われたこと。でも、作家は時代とか時流にあわせて作品を書いてくれるわけではない。文学って基本的に遅効性のものなんですよね。時流に合わせて傑作が出るわけではないので、それが難しい。

 これまで文芸時評を担当してきた方を考えると、河野多恵子さん、富岡多恵子さん、津島佑子さん、斎藤美奈子さん。女性はこれだけなんですけど、あと江藤淳さんとか大江健三郎さんとか、めまいがするようなそうそうたる方々がいる。そうなると、やはりその時々の社会と切り結ぶこと以上に、よい文章で読ませるということが求められているんだろうなと、漠然と感じざるを得ませんでした。だいたい小説家の方が書くことが多いですよね、文芸時評って。だから、時評自体も一つの文芸作品であることを求められているんだろうなと。

 林 (論壇時評の筆者が)自分に務まるかどうかはまだ不安で、やっと2回終わった、みたいな感じ。小説は芸術作品というか、いろいろなものを振り返りながら創作していくものだと思いますけど、論壇は社会で何かがあったら出していくものですよね。ただ、論壇時評は月に1回で、でも今の情報社会は1時間後、それでも遅いかもしれない。そうなると、1カ月って気が抜けたサイダーのような感じがあって、どうやって1カ月を振り返るかというのが難しい。みんなが飽きちゃった話を出しても読まれない。だけどきちっとした論考はちゃんと紹介したい。そういうジレンマがあるかなと思いました。

 あともう一つは、私自身はや…

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