旧大川小、行くべきだった裏山を避難場所にできない理由

原篤司
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 旧大川小学校震災遺構として整備中の宮城県石巻市が、再び付近が津波に襲われた際の避難先に頭を悩ませている。目の前には、かつて裁判の判決で「ここへの避難を決断すべきだった」とされた裏山があるが、ここは土砂災害警戒区域。徒歩で行ける避難場所はあきらめ、車で山に向かって逃げるルートを呼びかけることにした。

 東日本大震災の津波で74人の児童が犠牲・行方不明になった旧大川小の校舎付近では、7月中旬の開所に向けた準備が続く。以前から見学者が絶えず、遺族らの現地での「語り部」の活動も続いており、市は開所より一足先に、見学に来た人の安全のために避難を呼びかける看板を出した。

 看板は、津波注意報や津波警報大津波警報が発表された場合の避難目標地点を南側に約2・5キロ走った国道トンネル入り口付近とし、「自動車による推奨避難経路」と書いている。この地点は標高が高く、道幅が広くなっていて車でとどまりやすい。

 校舎の裏山に登る道はいくつかあり、正面からだと急斜面だが、過去に児童らがシイタケ栽培のために入っていた道はなだらか。それでも一帯は土砂災害特別警戒区域か警戒区域に指定されている。石巻市震災伝承推進室は、「指定区域である以上、避難場所として呼びかけることはできない」という。

 市は次善の策として、校舎から約700メートル離れた「バットの森」への徒歩避難も考えたが、移動に時間がかかるため断念。ほとんどの見学者が旧大川小に車で来るため、やむなく車での避難を呼びかけることにしたという。

 看板の設置以来、語り部活動をする遺族らから「来場者の命を守るため、すぐ裏山に逃げろと書いてほしい」と求められているが、応じていない。

 遺族と県、市の間で争われた大川小の損害賠償訴訟の最大のポイントは、「なぜすぐに裏山に逃げなかったのか」だった。一審判決は「教頭が自らの判断で裏山への避難を決断するべきだった」としていた。

 東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害情報学)は、「公式には土砂災害警戒区域である裏山に逃げろとは書けないだろうが、内々には『緊急時は裏山に誘導しよう』と、スタッフらに周知すべきだ」と提案する。災害時は想定通りにすべての状況が動くことはまれであり、命を守るためには複数の避難案と臨機応変さが必要だと言う。

 ただ、佐藤准教授は看板はこのままでもやむを得ないものの、渋滞の可能性を指摘。震災遺構がオープンして大勢の人が一度につめかけ、例えば大型バスが何台も来たら、1本しかない道をスムーズに避難できるのか。「市はまずそれを検証し、備えるべきだ」と話した。(原篤司)