静岡県のかじ取り役 歴代知事42人の歩みは…

中村純
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 4年に一度、県のかじ取り役を選ぶ知事選の投票が1週間後に迫った。知事の名を県史に刻むのは42人。選挙で選ぶ「民選」は戦後始まり、現在まで7人。それまでは政府が指名する「官選」だった。静岡の未来を託す一票を投じる前にその歩みをたどってみた。

 初代知事はJR菊川駅前にいた。1886年から89年まで在任した関口隆吉(1836~89)。菊川市の人々が昨年1月に建てた銅像だ。「静岡の発展に最期まで尽くしてくれた」。関口遺徳顕彰会の鈴木邦雄さん(73)はまぶしそうに像を見上げた。

 関口は生まれが東京で、父親は静岡出身。幕臣として徳川慶喜の警護役を務め、江戸城の無血開城にも関わった。1884年に高等法院判事から知事に相当する静岡県令に就任し、2年後の官制改正に伴い最初の県知事となった。

 在任中は菊川駅の開業、河川改修や農業用水の確保、熱海梅園の造成、図書館の開設、県内初の女学校(現静岡英和女学院)設立などに意欲的に取り組む。県政運営では二宮尊徳が説く「勤勉倹約」を取り入れた健全財政に努め、職員に「自助」「誠実」「勤労」の精神を徹底させた。しかし、出張に向かう途中、東海道線列車事故で負傷し、生涯を閉じた。

 関口は静岡に2度赴任している。1度目は34歳の時。明治政府の命で、入植した武士らと牧之原台地の開墾に当たり、広大な茶畑を築いた。この時に居を構えたのが現在の菊川市だった。郷土のために尽力したとし、関口の足跡は市内の小中学校の授業で語り継がれている。

 鈴木さんは「官選知事というと、中央官僚が腰掛け気分で来るイメージもありますが、関口は違った。静岡の将来を考え、全力で仕事をした」と評す。その上で「今は知事選ですが、大志を抱き、突進力を持ち、人格高潔な人を選びたい」と関口に理想の知事像を見る。

 関口の知事在任は県令時代を含め約5年に及んだ。歴代の官選知事は36人。ほとんどが1~2年で交代する中で異例の長さだった。

     ◇

 「民選」では数々のドラマが生まれた。

 第1回知事選は1947年4月、全国一斉に行われた。当選したのは元逓信官僚の小林武治氏。35代目の官選知事でもあった。長野県出身で後に参院議員も務めた。

 51年の知事選は波乱が起きた。再選をねらう小林氏が告示後に立候補を辞退。2氏の戦いを元内務官僚で前県総務部長の斎藤寿夫氏が制した。投票率88・17%は現在までの最高だ。

 斎藤氏は4期務め引退。67年の知事選は4氏による混戦になり、自民党元衆院議員の竹山祐太郎氏が勝ち抜く。2期目の途中、任期切れ寸前の自民参院議員・山本敬三郎氏を後継に指名して辞任した。

 迎えた74年の選挙は史上に残る大接戦となり、山本氏が元副知事を約4千票差でかわした。「地震知事」と呼ばれ、東海地震説が唱えられると、いち早く対策に乗りだし3期務めた。

 86年知事選は前哨戦が熱を帯びた。4期目をめざす山本氏と元大昭和製紙社長で元建設相の斉藤滋与史氏が激烈な自民公認争いを繰り広げ軍配は斉藤氏に。本番も制した。新東名高速の整備などに取り組んだが、2期目の任期を1年残し病気を理由に辞任した。

 後を継いだのは自治官僚から転身した石川嘉延氏。静岡空港など社会インフラの構築を進め5期目に意欲を示したが、後ろ盾の自民は難色。そこへ空港の地権者から開港の条件として辞任を迫られるとあっさり受け入れ、残り任期43日で辞職した。

 2009年の知事選は与野党対決となった。民主党などが推薦した元静岡文化芸術大学長の川勝平太氏が、自民、公明が推す前自民参院議員の坂本由紀子氏に競り勝ち初当選した。

 今回の自民が推す岩井茂樹前参院議員と4期目をめざす川勝氏の一騎打ちは、政党対決では12年前と似た構図。新旧交代と継続安定をそれぞれ掲げ、県リーダーの座を争う。

 公選以降の知事は7人。主な経歴では、官僚出身が3人、国会議員2人、実業家と大学教授各1人。当選は4回が最多で2人、3回2人、2回2人、1回1人。過去19回の知事選のうち、現職が挑んだ選挙は12回あるが敗北した例はない。(中村純)

【在任期間】(敬称略)

①小林武治

1947~51 当選1回

②斎藤寿夫

51~67  当選4回

③竹山祐太郎

67~74  当選2回

④山本敬三郎

74~86  当選3回

⑤斉藤滋与史

86~93  当選2回

⑥石川嘉延

93~2009 当選4回

川勝平太

09~   当選3回