日本一の慶応 堀井監督の忘れられない恩師の言葉

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編集委員・安藤嘉浩
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 第70回全日本大学野球選手権記念大会で、慶大(東京六大学)が4度目の優勝を決めた。就任2年目で母校を日本一に導いた堀井哲也監督(59)は、実は慶大入学時は野球部員ではなかった。4年春に初めて先発出場した際には、恩師からかけられた忘れられない言葉があるという。

 堀井監督の野球人生は、順風満帆なものではなかった。静岡県東部の函南町生まれ。地元の強豪・県立静岡高にあこがれたが、「県内にたくさんいるOBに声をかけてもらえるような選手じゃなかった」と笑う。県立韮山高に進学して硬式野球部に入学。「打球が外野に飛ばなくなった」という。

 当時は右投げ右打ち。1年秋に一念発起し、左打ちに挑戦する。右投げ左打ちの選手が今ほど多くなかった時代。その中で参考にしたのはプロ野球阪神で活躍した藤田平さんだった。「朝昼晩とティー打撃をした。付き合わされる同級生や下級生は大変で、ぼくの顔を見ると逃げ出すやつもいた」と苦笑する。そうやって、2年夏にはレギュラーをつかんだ。

 東京六大学にあこがれたが、「東大じゃないと試合に出られないと思った」と国立大を志望。共通1次試験の結果が思わしくなく、志望校を変えたものの、「合格したら、そっちに行くつもりだった」と打ち明ける。

 だから、慶大入学式の日はまだ野球部に入部していなかった。「ボート部に勧誘された。けっこう親切に色々と教えてもらった覚えがある」。入学後に野球部の門をたたいたが、3年までは代打の2打席しかリーグ戦出場がなかった。

 3年生になるとき、前田祐吉さん(2016年に85歳で死去、20年野球殿堂入り)が監督に復帰した。今も鮮明に覚えているのは4年の春季リーグ、早大2回戦に敗れた夜だ。

 合宿所に戻り、前田監督が3回戦の先発メンバーを発表し、一人ずつアドバイスを送った。

 「6番レフト堀井」

 初めてのスタメン、しかも早慶戦。胸の高鳴りを抑えきれない堀井選手に、前田監督は言い放った。

 「堀井、お前は最初で最後の…

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