履正社を離れ、母校へ 転職した野球部長の葛藤と挑戦

小俣勇貴
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スポーツ好奇心

 2019年夏の第101回全国高校野球選手権大会で初優勝した大阪・履正社高。長らく野球部長として支えてきた松平一彦さん(43)がこの春、母校・大阪体育大の硬式野球部にコーチとして戻った。葛藤や新たな目標を聞いた。

 「大学に戻ってこないか」という恩師のラブコールを断り続けてきた。だが、昨年になると熱量が一気に増した。「お前、よく考えてくれよ」

 恩師とは、1994年から大体大で指揮を執ってきた中野和彦監督(62)だ。大リーグでも活躍したプロ野球元巨人の上原浩治さん(46)らを育て、2006年には全日本大学選手権で初優勝。阪神大学野球連盟でリーグ通算26度の優勝を誇る名将は、20年度で定年を迎えようとしていた。

 「監督の後任をしてもらいたかった」と中野監督は明かす。松平さんに監督経験は無い。ただ、その球歴を見ると、任せたくなる気持ちはよく分かる。

 松平さんは阪神大震災が起きた1995年、春の選抜高校野球大会に被災地の兵庫・神港学園高の一員として出場した。大体大へ進学すると、1学年上には上原さんがいた。捕手として何度もブルペンで投球を受けた。3年生になると主務に。グラウンド内外で経験を積みながら、指導者を志した。

 2000年に履正社高の保健体育教諭となり、野球部で岡田龍生監督(60)の右腕となった。選手の指導とともに外部との調整なども担う野球部長として、20年。教え子には、T―岡田(オリックス)、山田哲人(ヤクルト)、安田尚憲(ロッテ)といったプロ野球選手も多い。春夏通算8度の甲子園優勝を誇る大阪桐蔭高と並んで「大阪2強」と呼ばれるようになる強豪校を支え、19年夏には悲願の全国制覇を果たした。

 やりがいは大いに感じていた。だから、「(転職は)全然想像もしていなかった」。一方、近年は他校に押され気味の母校のことも気がかりだった。ユニホームを着る中野監督に恩返しできる時間も、長くはない。「純粋に母校に頑張ってほしい」との思いが強まり、誘いを受けることにした。

 決断してすぐに、岡田監督に伝えた。親身に将来を気にしてくれながら、「頑張ってこい」と背中を押してくれた。履正社高に未練がないわけではない。

 いまの3年生部員は特に気をかけてきた。「入学してすぐに全国制覇。(全国選手権の決勝まで進んだため)新チームの始動は全国で一番遅かった。2年ではコロナ禍で上級生が主体になった。自分たちの力で勝った経験が少ない世代。彼らにはなんとか頑張ってほしかった」。だから、大学で働き始める4日前の3月28日まで履正社高のグラウンドに通った。部員には、「場所は違うところになるけど、応援しているぞ」とエールを送った。

 4月、再雇用で残った中野監督のもと、まずは部員とともに動いた。率先して室内練習場の掃除をし、元気なあいさつを呼びかけ、実践した。履正社高の全国制覇に8番遊撃で貢献した野上聖喜(いぶき)(2年)は、「高校時代と変わらない感じですね」と笑う。こうも言った。「おかげで、チーム全体がピシッと引き締まったと思います」

 この春のリーグ戦は優勝争いに絡んだ。あと一歩及ばなかったが、学生コーチと対話を重ねるうちに、新たな目標がはっきりしてきた。大体大には、自分と同じように教員を目指す学生が多い。「教え子に将来、『おれの母校に行けよ』と言えるように。その手伝いがしたい」。人を支え、育てる。その生き方は、変わらない。小俣勇貴