学校に行かなくなった兄 障害児の僕と迎えた小4の春

佐藤仙務
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 「どうするの? 今日は学校行くの? 行かないの?」

 小学1年生だった頃、朝起きると私の家ではこんな言葉がよく飛び交っていた。その言葉を発しているのは母で、それを言われているのは私ではなく、2学年上の兄だった。

 小学3年生だった兄は、ある日突然、学校に行きたくないと言い出した。最初は行きたくないと言いつつ学校に通っていたが、いつしか、学校に行く準備をし、ランドセルを背負うが、自宅の玄関口から動けなくなっていた。

 両親が「何で学校に行きたくないのか」と尋ねても、兄はいつも黙りこくって、その具体的な理由を答えることはなかった。

小学3年の兄が不登校

 私は、名古屋の養護学校(現在は特別支援学校)に通っていた。先天性の難病で重度の身体障害がある私は、小学3年と5年の2人の兄と違い、地元の小学校に通うことはできなかった。

 どこの子どもがいる家庭も同じだと思うが、朝というのは戦争だ。母は父を会社へと見送り、そして全介助の私をはじめ、健常児である2人の兄たちに朝ごはんを食べさせる。兄たちを小学校へと見送ったら、次に母は私を車に乗せ、今度は家から40分ほどかけて名古屋の養護学校に送っていく。

 もちろん、朝の送りだけではなく、帰りも迎えに来てもらう必要がある。母は日によって自宅と養護学校を何往復もしていた。この生活は私が小学1年から高校3年までの約12年間続いた。

 振り返ってみれば、それだけでも母は毎日ハードな生活だったと思うのだが、それに追い打ちをかけるように、小学3年の兄は不登校になった。

特別支援学校についてきた

 すると母は、学校を休みがちになった兄を家で1人にするわけにもいかず、私が通う養護学校によく一緒に連れて来るようになった。やがて、朝と帰りの送迎には兄が必ずいることが当たり前になった。

 当時小学1年生だった私は、朝と帰りの40分という通学時間に暇を持て余していたので、車中で兄と遊べるのは楽しかった。だが一方で、兄の学校に行きたくないという心境は全く理解できないでいた。学校は行きたい・行きたくないではなく、誰もが行くものだと思っていたからだ。

 ただ、私が当時「学校に行きなよ」と兄に言ったことは一度もなかった。

ボールプールに飛び込んで

 兄は養護学校に来るたび、いつも目をキョロキョロさせていた。自分の弟が重度の身体障害児とはいえ、障害児だけが通う学校というのは、兄にとってまさに未知の世界だったのだろう。

 「ひさむ、あそこにあるのは何?」

 学校の中に入ると、兄があるものに指をさした。そこにあるのは「ボールプール」だった。

 ボールプールというのは、たくさんのボールが敷き詰められたプールで、赤ちゃんや幼児が遊ぶ印象があると思うのだが、足や体にボールを触れさせることで、触覚を刺激し、運動能力の発達を促進することを目的として置いてあることが多かった。

 養護学校では私のように一般的な教科書を使って学習する子もいたが、中には意思疎通をすること自体が難しい子がいるので、そういった子どものためにはとても必要なものと言える。

 「ボールプールだけど、でも勝手に入ったら……」

 私がそう言いかけると、兄は私の話なんて聞く耳を持たず、ボールプールに思いっきり飛び込んだ。そしてボールの上で両手両足をバタバタと動かし、仰向けに寝転んだ。そして兄はケラケラと笑いながら、私にこう言ってみせた。

 「学校にボールプールがあるなんていいなー」

 当時私は、兄のその言葉を聞いて、ちょっとだけムスッとした。なんだか養護学校を小馬鹿にされているような気がしたし、正直私は好きで養護学校に通っているわけではなかった。ましてや、小学3年になってまでボールプールに飛び込む兄の姿を見て、なんて幼稚なのだろうとも思った。

不登校のまま小4に…

 兄はその後も、自分の通っている小学校に行くことはなく、毎日のように私の学校に付いてくる日々が続いた。私も幼心ながら不思議だと思っていたが、そんな生活や状況を誰よりも不安に感じていたのは母だった。母は口に出して言わなかったが、きっと心のなかで「このまま一生、学校に行かなくなるのではないか」と心配していたはずだ。

 だが、そんな状況を魔法のように一変してくれる人物が現れた。私にとってはもちろん、当時の兄にとっては、まさに救世主的な存在だったに違いない。

 それは兄が不登校になったまま小学4年生になった頃。出会いは、桜がちらほらと咲き始めた季節のことだった。(佐藤仙務)

 後半に続きます。次回は7月に配信予定です。

佐藤仙務
佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます ―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。