我が名は「炭焼三太郎」 元労働運動闘士が今思うこと

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高田誠
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 東京都八王子市西部の上恩方(かみおんがた)町醍醐(だいご)地区は山深く、首都圏の騒がしさから隔てられている。「炭焼(すみやき)三太郎」を名乗る尾崎正道さん(75)はこの地に炭焼き場を設けた。自然や静けさ、心の平穏を求め、三太郎のもとを訪れる人は後を絶たない。国会で長く野党第1党だった社会党を支え、市議4期を務めた三太郎。かつての労働運動の「闘士」は今の政治をどう見ているのか。

 JR中央線高尾駅から陣馬街道を乗用車で約30分。さらに支線に分け入った醍醐地区は6月の緑の輝きに包まれていた。ウグイスの澄み切った鳴き声、崖下の清流のせせらぎが耳に心地良い。

 「いいところでしょう」。迎えてくれた三太郎こと、尾崎さんは誇らしげに言った。彼にとっては子どものころ、友達と駆け回ったふるさとでもある。

 丸太で手作りした「三太郎小屋」が、今の活動拠点だ。囲炉裏に自在かぎの土鍋がぶら下がる。外には初心者用のドラム缶窯を含めて炭焼き窯が8カ所ほどあり、火力などで使い分ける。林から切り出す竹は良質な炭の材料になるだけでなく、うどんをすすり、伏流水や酒を飲む時の器にもなる。

 炭焼きの技術を学びたい人はもちろん、様々な人が集う。

 サラリーマンや退職した団塊の世代が週末、「心が安らぐ」とやって来る。囲炉裏の炎を見て過ごすだけで満足する人もいる。「明日死のう」と思い詰めていた会社経営者は、炭焼きを覚えて自信を取り戻した。

 不登校の中学生たちも教師に連れられやってくる。炭の歴史や効能について説明を聞く間はうつろな目をしていても、竹を割ったり炭を焼いたり、自然に触れたりしているうちに目が輝き出す。今も通う公務員の女性(23)は「こんな世界があるんだってびっくりした。いとおしい場所です」と言う。

 尾崎さんは思う。

 「大人も子どもの世界も慌ただしく、格差がどんどん広がっているようだ。いまはコロナ禍で人とのかかわりがデジタルやオンラインに代わり、現代人は不安で、ますます孤独に追いやられている。政治は落ちこぼれたやつを救えていないのではないか」

 終戦の翌年、1946年に上…

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