「父さんの話聞きたい」 父の日、芦屋・明石から

森直由
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 【兵庫】20日は「父の日」。諸説あるが、米国では1910年、「母の日のように、父にも感謝する日を」と提唱されたのが始まりと伝わる。日本では、戦後まもなく芦屋と明石の女性によって提案され、広がったというエピソードが残る。

 芦屋市内の幼稚園に当時、父を太平洋戦争で亡くした男児がいた。男児は父のことを知りたいのに、家族は話したがらない。「お父さんの話を聞きたい」。明石市内にも、同じ思いを抱える男児がいた。

 芦屋市婦人会の初代会長で、県連合婦人会長に就いた廣瀬勝代さん(1895~1984)は、そんな話を耳にしていたという。

 「豪傑だったが、女性としての優しさ、強さを忘れなかった」。長女の忠子さん(94)がこう評する廣瀬さん。53年5月19日、西宮市で開かれた県婦人大会で父の日の制定を提唱し、決議された。

 当時の新聞紙上で訴えていた。「父のない子たちこそ、父の日が必要です。在りし日の父の徳をたたえる日にすべきだと思います」。後に市婦人会長になった忠子さんも「戦争で亡くなった父親をしのぶ日として提唱した」と市婦人会の創立60周年の冊子に記した。

 翌20日の朝日新聞は「『父の日』制定に万雷の拍手」という見出しで伝えている。53年6月21日が「父の日」に決まった。翌22日の朝日新聞では、芦屋市内で「マイク車」に乗った婦人会員が、父の日を宣伝した様子が記されている。

 55年12月6日、廣瀬さんは全国婦人大会で、父の日の全国での実施を提唱。これをきっかけに、米国で父の日だった6月の第3日曜日を、日本でも同様に扱う習慣が広がったという。

 明石市でも似た話が残る。市によると、51年に発足した明石市連合婦人会の初代会長が「お母さんの日はあるのに、どうしてお父さんの日はないの」と幼稚園児から聞かれたことをきっかけに、父の日の表彰行事を始めたと伝わる。(森直由)