津波に流された母へ 14歳ランナー「成長見せられた」

徳島慎也
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 東京五輪聖火リレーが19日、宮城県内で始まった。21日までの3日間で、東日本大震災で被災した沿岸部を中心に16市町村をつなぐ。沿道で新型コロナウイルス対策がとられるなか、聖火は梅雨入りと重なった初日、気仙沼を皮切りに、南三陸、石巻、女川へと4市町を巡った。

 宮城県富谷市の中学3年、佐々木大輔さん(14)にとっては懐かしい街並みだった。母弘江さん(当時42)が東日本大震災の津波で行方が分からなくなってから10年。ランナーとして駆け抜け、「成長した姿、頑張っている姿を見せられた」。

 当時、4歳だった大輔さんは、石巻市立雄勝病院の近くで両親と姉2人の5人暮らしだった。

 あの日、弘江さんが管理栄養士として勤めていた雄勝病院が津波にのまれ、入院患者や職員ら64人が犠牲に。弘江さんも行方がわからなくなった。

 父勇人さん(60)が遺体安置所を回ったものの、見つからなかった。今も家族は帰りを待っている。

 大輔さんは、震災当時のことを「ほとんど覚えていない」と言う。ただ、家族の話だと、移り住んだ石巻市内のアパートで、毎晩のように「ママ、ママ」と寝言を口にしていたようだった。夢で会っていたのかもしれないな、と思う。

 小学4年の春に富谷市に引っ越した。今は「野球をやっている時が一番楽しい」と言う。ランナーに応募したのは、弘江さんや、かつて一緒に野球をした友達に元気な姿を見せようと思ったからだ。

 迎えた本番。午後4時前に石巻市の市街地で聖火を受けると、右手でトーチを掲げ、沿道の観衆に向かって左手を振りながら走った。およそ3分のリレーだった。

 その後、「一生懸命お父さんとお姉ちゃんが支えてくれた」と感謝を口にした。そして、こう語った。「4歳までしか一緒にいられなかったけど、空の上で見てくれていたかもしれない。そのことを感謝しながら、これからも生きていきたい」。弘江さんがよく作ってくれたオムライスは、今でも大好物だ。(徳島慎也)