戦時中に処刑された米兵ら43人、日米関係者が慰霊

吉田啓
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 76年前の6月20日、福岡市にあった旧陸軍の西部軍管区司令部に捕らわれていた米兵8人が軍律会議を経ずに処刑された。8月にも同様の処刑があり、5月と6月には九州帝国大(現九州大)での実験手術の末、米兵が殺された。これら計43人の米兵を慰霊する法要が20日、福岡市城南区の油山観音であった。

 法要には処刑に加わって戦犯となった軍人2人の遺族や、米国のジョン・C・テイラー在福岡首席領事らが参列した。大分県航空戦史研究者、深尾裕之さん(50)の働きかけで実現した。犠牲者の写真や日米の国旗が飾られた本堂で読経や焼香があり、犠牲者の遺族からのメッセージも読み上げられた。

 参列者の一人、冬至克也さん(67)=福岡市中央区=の父、堅太郎さん(故人)は6月20日の処刑に加わった。堅太郎さんは処刑の前日に空襲で母を亡くしており、処刑された米兵は、いずれもこの空襲とは別の日に墜落した米軍機の乗組員だった。

 終戦後に米軍がBC級戦犯を裁いた横浜裁判で死刑判決を受け、減刑されて出所した後、自宅に4体の地蔵を置いて自身が手にかけた4人の米兵を慰霊した。地蔵はいま油山観音の本堂裏にある。法要でも出席者が地蔵に手を合わせた。

 克也さんは「あの戦争は何だったのか。戦争なくして、この平和をもたらすことは出来なかったのか。この国の主権者として深く思う」と話した。

 左田野渉さん(62)=東京都荒川区=の父、修さん(故人)は8月10日の処刑を命じられた。修さんは生前、当時の心境などを詳細な手記に残した。その中には「処刑した相手はまだ若く、自分には悔いがある」との記述もみられるという。渉さんは法要後、「遺族として米国側の人と接したのは今日が初めてだった。息子として、父の代わりに慰霊の場に出られてよかった」と述べた。

 テイラー首席領事は「第2次世界大戦で日本人の苦しみは多かったと思う。それなのに今日、このような集まりに参加できて米国の代表としてうれしい」と話し、「私たちの責任は二度とこのような戦争を起こさないことだ」と語った。(吉田啓)