サックス奏者、原信夫さん死去 戦後日本のジャズ牽引

 日本を代表するビッグバンド「原信夫シャープス&フラッツ」のリーダーで、戦後日本のジャズ界を支えたサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名塚原信夫〈つかはら・のぶお〉)さんが21日、肺炎による呼吸不全で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。喪主は長男でミュージシャンの、とも也さん。

 富山県出身。第2次世界大戦中に海軍軍楽隊に入隊。終戦後にジャズミュージシャンの道に進んだ。サックス奏者として進駐軍向けクラブなどで演奏した。1951年にシャープス&フラッツを結成。活動範囲を広げ、個性豊かなアレンジで、コンサートバンドとして人気を博した。

 クインシー・ジョーンズダイアナ・ロスナット・キング・コールら、米国の大物歌手の来日公演では伴奏を担当した。

 歌謡界でも、NHK紅白歌合戦のほか、江利チエミ美空ひばりらの伴奏を務め、美空のヒット曲「真赤な太陽」の作曲を手がけた。

 日本の音楽文化への貢献が高く評価され、88年に紫綬褒章を、98年には旭日小綬章を受章した。

ひばりさんの息子の加藤和也さん「天国でセッションを」

 日本を代表するジャズミュージシャンで、サックス奏者の原信夫さんが21日に亡くなったことを受け、美空ひばりさんの息子の加藤和也さんが22日にコメントを発表した。

 原さんはひばりさんの代表曲「真赤(まっか)な太陽」などを作曲したほか、コンサートで伴奏も務めた。加藤さんはコメントで、「母がジャズやポップスにも精力的に取り組む事ができたのは、原信夫さんのお陰」「晩年、最後にまた原さんの演奏で歌いたいと口にしていた母ですから、きっと天国でセッションしていることだと思います」などとコメントを出した。加藤さんのコメント全文は以下の通り。

原信夫さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

母が演歌歌謡曲だけではなく、ジャズやポップスにも精力的に取り組む事ができたのは、原信夫さんのお陰によるものです。

1961年それまでもバックバンドを務めてくださっていた原信夫シャープ&フラッツとの最初の名盤「ひばりとシャープ

そして「ひばりジャズを歌う~ナット・キング・コールをしのんで~」が復刻されるこのタイミングで訃報(ふほう)に際し、残念でなりません。

またロックに挑戦したのは、原さんに作曲していただいた「真赤(まっか)な太陽」でした。

晩年、最後にまた原さんの演奏で歌いたいと口にしていた母ですから、きっと天国でセッションしていることだと思います。

原さんは私にも厳しく温かいとても素敵な方でした。心より感謝をお伝えしたいです。ありがとうございました。