福岡の山林に陶磁器、石塔…… 姿を現した謎の中世寺院

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今井邦彦
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 中世日本で茶道や華道、能などの文化だけでなく、政治にも大きな影響を及ぼした禅宗です。それが鎌倉時代初めに最初に伝わったのは、九州の港湾都市、博多でした。当時、中国・南宋出身の商人が多く暮らしていた博多は南宋の経済圏、文化圏の中にあり、大陸から最新の文化や情報がもたらされる町だったといいます。その博多を望む福岡県久山町の国史跡・首羅山(しゅらさん)遺跡では、十数年前から中世の禅宗寺院跡の調査が進み、中国人商人らが作ろうとした宗教空間の姿が見えてきました。

住民が拾った破片、大発見のきっかけ

 今春、首羅山遺跡に関係する本の出版が相次いだ。2月に出た伊藤幸司・九州大教授(日本中世史)の「中世の博多とアジア」(勉誠出版)では、同遺跡の背景を東アジア交流史の中で考察。4月には調査を担当した久山町教育委員会の江上智恵(ともえ)さんが、遺跡の発見から国史跡指定に至る経緯をまとめた「博多周縁の中世山林寺院 首羅山遺跡」(新泉社)を刊行した。

 鎌倉時代の博多には、1195年に栄西が開いた日本初の禅寺とされる聖福寺(福岡市博多区)と、中国帰りの円爾(えんに)が1242年に開山した承天寺(じょうてんじ)(同)という日本最古級の禅寺があったことはよく知られている。1970年代から市街地の地下に眠る「博多遺跡群」の発掘調査が進み、平安時代末~鎌倉時代に、中国の宋出身の商人「綱首(ごうしゅ)」らの居住地「唐房」が形成され、都市化したことが明らかになってきた。

 そんな中で調査されたのが…

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