「調べて書く」貫いた立花隆さん 知の巨人が残した警句

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山本悠理

 4月30日に80歳で亡くなったジャーナリスト立花隆さんは、「未知の境界を見極めなければならない難問を解くのが好き」だと生前に語っていた。あふれる好奇心を満足させるため、「調べて書く」という大原則を徹底して貫いた生涯だった。

 その名前を一躍有名にした「田中角栄研究」(1974年)では、仲間と共に膨大な資料を読み解いたのに加え、田中角栄のファミリー企業や後援会などの人脈を相関図にし、データも加えて緻密(ちみつ)な分析を行った。

 金権政治の実情を暴くのみならず、執筆に向けた資料収集に大きな役割を果たした大宅壮一文庫の存在に、光を当てたことの意味も大きかった。当時設立されたばかりの同文庫には、その後記者やフリーライターらが集い、ノンフィクションという分野の興隆につながった。

 後に、科学分野での取材、執筆に力を注ぐようになる。「最先端で起きることを自分の言葉で伝えるのがジャーナリズム」と語っていた立花さんにとって、一見奇異にも見える分野の越境はごく当然のことだった。そして、「調べて書く」姿勢はどの分野でも変わらなかった。ノーベル医学生理学賞を受賞した利根川進さんとの対談にあたっては、「書棚3段分くらい」の専門書を読み込み、実験の手法や装置などの知識も身につけて臨んだという話もある。

 2001年に発表した「東大…

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