あなたに触れたい 戦没者を刻む礎、記者が訪ねた1カ月

有料会員記事

国吉美香、光墨祥吾、福井万穂、寺本大蔵
[PR]

 敗走する日本兵と巻き込まれた多数の住民が入り乱れたまま、次々と亡くなった沖縄本島の南端。沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)に立つ「平和の礎(いしじ)」には慰霊の日の23日、雨の中、早朝から手を合わせ、花を手向ける人たちの姿があった。20万余の戦没者の名が刻まれた礎にこの1カ月、記者たちが通い、訪れる人たちの声に耳を傾けた。

 横殴りの雨が降り続く。5月29日昼すぎ、加屋本靖さん(72)=西原町=は妻の由子さん(70)と、はやる気持ちをおさえられず、ここを訪れた。礎には今年、一度も顔をあわせたことのない二つ年上の姉、カヨ子さんの名が刻まれる。

 姉は、戦前に台湾で暮らしていた父母が沖縄に引き揚げる途中、生後15日で亡くなった。その父母は戦時中のこと、姉のことは多くを語らないまま、90歳をすぎて他界した。

 礎に刻銘がないことが気がかりだったが、昨年、先祖代々の遺骨が収められた墓の中で、見慣れない高さ30センチほどの黒っぽい骨つぼがあることに気付いた。表面には「引き揚船デ死亡」「加屋本カヨ子」と文字が刻まれていた。姉の名と「1946年12月」という命日を知り、追加の刻銘を申請できた。

 刻銘はまだ終わっていなかったが、加屋本さんは「胸につかえていたものがようやく解消される。刻銘されたら真っ先にお参りして、父と母に報告したい」。

7年前から足を運ぶ元海兵隊員

 30日昼、横文字が並ぶ一角に、ラーソン・ジェイミーさん(44)=宜野座村=が立っていた。元米海兵隊員。2年前までキャンプ・ハンセンで勤務していた。

 翌31日の米国の「戦没将兵追悼記念日」にあわせて、小学生の息子2人と娘1人に沖縄戦の歴史を学んでもらおうと連れてきた。7年前から続けている。礎には1万4千人以上の米国人の戦没者の名がある。

 「ここに刻まれている人の名…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。