がんと闘い、旅立った父 見送って気づいた応援の意味
こばゆりの今日も走快!
先日、がんを患って闘病生活を送っていた父(亮一さん)が、65歳で旅立ちました。今回は、私を支えてくれた父についてお話ししたいと思います。
現役時代は、競技場の隅で「祐梨子、祐梨子」と私の名前を呼ぶ母の隣で、見守るように応援してくれました。
私が通っていた須磨学園高(兵庫)は自宅から2時間近くかかりました。朝食を済ませ、午前5時台の電車に乗る私を、父はいつも車で駅まで送ってくれました。
休みの日は、「どないする? 連れてったろか?」と、私に尋ねてきます。行き先は、当時は「彼氏」だった現在の夫の家でした。陸上界ではちょっと有名だった私を気遣ってか、デートの送り迎えを買って出て、私の恋も応援してくれていたのです。
父は、私に対して一度も「頑張れ」と言ったことがありません。その理由を、父が亡くなった後、父の友人が教えてくれました。
以前、私が誰かに「頑張れ」と言われた時に、「なんでみんな『頑張れ』って言うん? 頑張っとう人に頑張れ言うて、これ以上何を頑張ったらいいの!」と、両親に向かって怒りを打ち明けたことがあったからだそうです。
練習や勉強も「やりなさい」と言われた記憶はありません。冬場、外に走りに行こうとする私に「寒いからこたつにでも入っとき」と言うほど。そんな父のおかげなのか、私は誰かに強制されるのではなく、「自分が走りたいから走る」と頑張れました。
試合が終わり、競技場の外や家で、どんな結果でも笑顔で迎えてくれる家族に会うのは、心底、ほっとできる瞬間でした。
入退院を繰り返していた父は昨年末、余命半年と宣告されました。新型コロナウイルスの影響で、入院中は面会ができません。2月に次男を出産し、すぐにラジオの仕事に復帰しました。父はラジオが大好きでした。会えない代わりに、私の声を届け、父に1日でも元気に過ごして欲しいという思いからでした。
LINEで日常のなにげない出来事をこまめに伝えました。病気の話は一切なし。思えば、私が現役のときにそうしてもらったように、今度は私が父を「応援」していたのかもしれません。
難しさに直面したこともあり…
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