「角栄研究と同じだよ」 立花隆さんはゼミ生に説いた

有料会員記事

小宮山亮磨
[PR]

 立花隆さんは、1996年から東京大で「調べて書く」というタイトルのゼミを開いていた。翌年に入学した私(42)は、そのゼミに参加した学生の一人だ。

 私は小学生のとき、立花さんの代表作「宇宙からの帰還」を読み、卒業アルバムに「将来の夢はジャーナリスト」と書いた。個人崇拝みたいなことはあまり書きたくないけれど、立花さんは長いこと、「憧れの人」だった。

 初めてゼミの後の懇親会に参加したときは、ずいぶん舞い上がったと思う。あの立花隆にビールをついだのだと、実にどうでもいい自慢話を家族に披露した。

 当時のゼミを、少し思い出してみる。

 講義は週に1度。立花さんは大量の資料をかかえ、夕方、駒場キャンパスの大教室に現れた。英国の人類学者フレイザーによる古代宗教の研究書「金枝篇(きんしへん)」からロボットや脳、量子論まで、分野を問わず、あらゆることを自由に語った。

 ただでさえ内容が難しいのに、話題は脇道にそれていき、いつの間にかそちらが本道になっている。かと思ったら、もとの道にワープして戻る。

 ついていけない学生のほうが多かったように思うが、本人は気にせぬそぶりで話し続けた。講義時間の90分を超えても止まらず、警備員が追い出しに来ることもあった。講義録を作ってウェブに掲載するのが学生の仕事の一つで、これがまた大変だった。

 取材に出て記事を書いたり、発表したりすることも求められた。私も、週刊文春や月刊文芸春秋の編集長だった平尾隆弘さんに若い頃の話を聞いたり、コンピューターが動く理由を南谷崇・東大教授(当時)に教わって記事にしたりした。

 こうした学生の取材や企画の中には、「二十歳のころ」「環境ホルモン入門」のように本の出版につながったものもある。

 ゼミとは言え、卒業に必須の科目ではない。負担は重いのに、もらえる単位はほかの半分だけ。実態はむしろ、物好きな学生が集まるサークルに近かった。よその大学から「もぐり」で来る学生もいた。

 「割に合うか合わないか、じゃなかった。(立花さんのゼミという)ミーハー的なものも半分あったけど、酒も飲まずに何時間も話せるような濃いメンツが集まっていて、場として魅力があった」。私の同級生で電気通信大の菅哲朗准教授は話す。

 ゼミでの立花さんは、手取り足取り指導するというタイプではなく、愛想がいいわけでもなかった。だが決して、不親切ではなかった。

 発表を前に、立花さんの書庫でもあった事務所、通称「猫ビル」に仲間とお邪魔したことがある。どう説明すればわかりやすいか、行き詰まって、別室にいた立花さんに助言を求めた。

 面倒くさがられるのではないかと、実はちょっと怖かった。ところが、「チャートを作って、人間やものごとの関係をグラフィックに示すといい」と、手短に教えてくれた。

 「ぼくが田中角栄研究でやったのと同じだよ」

 居酒屋へ連れて行かれたこと…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。