運河に戻ってきたボート部 震災当時の主将が語ったこと

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編集委員・石橋英昭
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 五輪出場の実績もある名門・東北大学ボート部(漕艇〈そうてい〉部)が、10年ぶりに仙台湾沿いの貞山運河に戻ってきた。東日本大震災で被災した艇庫が宮城県岩沼市で再建され、5月、乗艇練習が始まった。災禍を乗り越え、オールをこぎ続けるということ。その意味を考えながら、この場所で日本一に挑む。

 「キャッチ、ロー」

 コックス(舵手〈だしゅ〉)のかけ声が朝から水面に響く。運河にかかる橋の下を、ボートが次々くぐってゆく。

 2階建ての岩沼艇庫は、海から約1キロ、運河の内陸側の産業団地の一角に建てられた。3月に完成してはいたが、コロナの感染拡大が落ち着いて、ようやく練習が認められた。部員は週4日合宿することになる。

 艇庫は2011年まで、1・2キロ北の名取市北釜にあった。運河をはさみ仙台空港に隣接する場所だ。

 3月11日は改修中で、部員は埼玉県で合宿をしていた。津波に囲まれ、管理人や逃げ込んだ住民は屋上で孤立。北釜集落では約50人が亡くなった。部員の犠牲がなかったのは、たまたまだ。がれきとともにボート数十艇が折り重なった。

    ◇

 全国の大学などから支援を受け、部は場所を転々としながら活動を続けた。翌12年に川崎町のダム湖「釜房湖」に移り、14年には湖畔に艇庫ができた。

 部のOBたちは、いずれ貞山運河に本拠を戻そうと考えた。地域とも交流を重ねてきた伝統の地。「インカレで5回優勝したのもここ。4・5キロの長い距離がとれる強みもある」と堀内哲・現監督(68)は言う。津波跡地の整備が進んだ岩沼で土地を確保し、建設計画は進んだ。

伝統か、安心か…震災当時の主将が語ったこと

 だが、現役の部員たちには戸惑いがあった。

 運河周辺は災害危険区域にな…

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