福岡伸一さんうなった小学生質問 ウイルスと生命の違い

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 伊東豊雄が主催する建築塾に参加する機会があった。オンライン会議流行の今、久しぶりのリアル対面式。会場もオープンスペースで、親子連れも参加する開放的な集いだった。私は、生命とはなんだろう?というテーマで話をした。増える、呼吸する、成長する……生命の特徴を列記することはいくらでも可能だがなんとなくもどかしい。それは外から生命の性質を観察しているからである。もっと内側から生命を捉えようとすると、おのずと行き着く地点がある。それは、転がり落ちてしまう岩を、何度も山頂に運び上げるような、シーシュポスの神話のごとき営みを生命は繰り返しているということ。難しい言葉でいえば、エントロピー(乱雑さ)増大の法則に絶えず抗している存在であるということ。なぜ生命にはそれができるのか。私の答えはこうだ。無秩序の増大に先回りして積極的に自分を分解し、そのことによって生み出される時間的余裕を使って新しい秩序を再構築しているから。ゆえに、生命の最も核心的な特性は自己破壊ということになる。すると会場の小学生が手を挙げて質問してきた。「では、ウイルスは増える一方で、自分を壊せないから生命とはいえませんか?」。恐るべき鋭さである。「きみは全く正しい」

 壊して作り直すから、死と生が表裏一体だから、生命は生命たりうる。そこに創造や発見や進化が起きる。これは、AIが生命を超えうるか、という問いにもつながる。シンギュラリティ(超越点)は近いとするカーツワイルの説やハラリの『ホモ・デウス』では、AI全盛の未来が朗々と語られるが、へそが茶を沸かすとはこういうこと。AIは履歴を蓄積するだけで、自らを破壊できない。

 仮に、究極なまでに生命を模倣し、自らを率先して壊しつつ、自らを再生できるような、そんなAIが誕生したら? それはもはやインテリジェントではなく、むしろスロットマシンやルーレットに近い何者かになるだろう。