一貫して農業高、野球部3校指導 育成功労賞の岡元さん

佐藤修史
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 【宮崎】高校野球の発展と生徒の育成に尽力した指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、都城農、宮崎農、高原の3校で監督を務めた岡元孝志さん(68)が選ばれた。1971年夏の第53回選手権大会に都城農の主将として出場し、開会式で選手宣誓も務めた。

 都城市出身。家業の農業への関心もあり、都城農に進学した。野球部では捕手を務め、主将だった3年生の夏に甲子園に出場した。球場の広さにおののき、1番くじを引いて驚いた。

 だが、入場行進も開会式もあまり覚えていない。ずっと頭の中で選手宣誓の文言を繰り返していたからだ。「宣誓! 我々選手一同は……今でも一言一句をそらんじている」と笑う。

 北別府学投手(元広島カープ)がいた4学年下の世代も強かったが、都城農が甲子園の土を踏んだのは、あの夏の1度きりだ。

 卒業後は大阪商業大学に進んだ。ここでも主将を務め、関西六大学で優勝、全日本大学野球選手権大会で準優勝に導いた。

 指導者の道を選び、高校教諭(農業科)に。77年に母校の監督に就くと、79年には九州大会準優勝に輝いた。90年に宮崎農に赴任し、硬式野球部を創設。県内の農業高校に続々と野球部が誕生する先鞭(せんべん)をつけた。2001年には高原(当時)に移り、一貫して農業高校の野球部を指導した。

 20~30代は鬼監督だった。「おら、いくぞー」「しっかりやれ!」と叫びながら、1千本以上のノックをぶっ通しで続けた。

 生徒が集まらず、9人ぎりぎりのメンバーで公式戦に臨んだこともあった。宮崎農を率いた1997年の県新人戦では延岡学園との延長18回の激闘を制した。高原時代の2007年夏には、けがをしたエースが全身にテーピングをしたまま、日南学園の有馬翔投手(元ソフトバンク)と互角に投げ合った。「思い出すと泣けてくるような試合がたくさんある」

 再び都城農の監督をしていた13年11月、選手と同乗していたバスが交通事故に遭い、頸椎(けいつい)骨折の大けがをした。この年度で定年を迎え、惜しまれながら高校野球での監督生活を終えた。手足のしびれは今も残る。

 「選手はもちろん、保護者ともコミュニケーションを深め、どの世代のOBとも付き合いを続けているのが誇りです」。試合に出られない生徒も含め、一人ひとりに野球人としての覚悟を説き、チャンスを与え、「野球をやっててよかった」と思ってもらえるよう心を砕いた。

 「甲子園出場をはたせなくても、最後の夏に『やりきったぞ』と思えるプレーをすれば、その後の人生にも生きる。今夏は全国大会という目標がある。球児たちの完全燃焼を期待したい」(佐藤修史)