チャーリー浜のいた時代 「悲しいじゃあ~りませんか」

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土井恵里奈
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 ギャグみたいな人生、いや、人生みたいなギャグか。芸の道は、酒と女と地続きだった。

チャーリー浜 4月18日死去(呼吸不全、誤嚥〈ごえん〉性肺炎) 本名・西岡正雄 78歳

 吉本新喜劇へ入ったのは1962年、19歳のとき。しばらくは二枚目であまり目立たなかった。シュッとした見た目とは裏腹に、ワルで怖くて人情肌。その上、飲んべえで破滅型。酔っては惚(ほ)れて、よくもてた。

人生の間違い笑いに

 代名詞のギャグ「ごめんくさい」は、机の上や頭の中でひねり出したわけではない。ただ、間違えたのだ。

 体を壊して舌が回らず、「ごめんください」をかんだら客がどっと笑った。

 「いずこへ」は、愛した女への思いから。妻に逃げられた過去を笑いに変えた。「僕のギャグはぜ~んぶ、人生のつながり」「間違った人生」とMBSのよしもと新喜劇座員紹介で語っていた。

数々の浮名とともに

 4回結婚して離婚した。どちらもそれ以上だった説もある。スナックで意気投合しては結ばれて、破局した。孤独の友がギャグだった。

 「まっすぐ、灯のついてない家に帰る。寂しい思いで、ガチャッと開けて、ごめんくさい」「雰囲気が明るくなったらええねん。暗いのはあんまり性に合わん」(MBSのよしもと新喜劇座員紹介)

 しくじりをさらけだす喜劇人らしく、3度目の離婚後には、離婚をめぐる映画試写会に出席。招待客もバツイチという酔狂な席で、「離婚は自分をだまさない正直な生き方をしている証拠。バツイチどころかピカイチ」と言いのけた。

 自身は4度目も正直に生きたので天下一か。妻3人が夫たちに復讐(ふくしゅう)する映画よりも映画的だった。

 平成のはじめに芸名を変えた。理由の一つは、美女3人の登場する映画「チャーリーズ・エンジェル」が好きだったから。名前からして現実離れでけったいなコメディアンとなった。

 そして91年、「…じゃあ~りませんか」でブレーク。新喜劇のメンバーで唯一、新語・流行語大賞を取った。

 一方で、親きょうだいなど身内の話は仲間にも明かさなかった。大阪の下町の履物屋の坊で、野球少年だったことくらいしか分からない。

 新喜劇の仲間たちによると、「家族愛に飢えていて、こわがりで寂しがり」。師匠でなくチャーリーと呼ばれることを好み、オフの日も、トレードマークの髭(ひげ)を自ら描いて街へ出た。「あ、チャーリー」と声がかかれば「僕チャーリー」と愛想良く。飛行機に乗ると、突然自分から「あなたどなた?」と笑かしにかかる。劇場の外でも芸人であり続け、破綻(はたん)も孤独も愚かさも、笑い飛ばして芸にした。

 晩年は、地方巡業によく出た。「網走から小走りで」のギャグは、北海道・網走でも九州でもお構いなしに使い回し。ウケるウケないの次元を超え、いるだけで芸になる。どこへ行っても抜群の知名度は、一つの時代に愛された証しでもあった。

 歌好きでも知られた。十八番は「釜山(プサン)港へ帰れ」。ビブラートたっぷり、クセ強め。耳に残る歌声だった。

 葬式は親族だけでひっそりと。わびしさは世間に見せない性分らしい最期だった。

 さいなら、チャーリー。生き様が芸になる生粋の喜劇人を、また一人失った。悲しいじゃあーりませんか。

 笑いのプロたちは、チャーリー浜をどう見たのか。吉本新喜劇のベテラン勢に聞いた。

記事後半では、吉本新喜劇の仲間がチャーリー浜との思い出を語ります。

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