消えた「玉水焼」の探究 樂直入さんが成果公表

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編集委員・中村俊介
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 歴史的にも茶の湯と切り離せない京都・楽焼(らくやき)から江戸時代に分かれた玉水焼(たまみずやき)には謎が多い。史料の乏しさゆえに誤った認識が世に流布し、楽焼を受け継ぐ樂(らく)家の伝世品に紛れたものもあるという。その実態を把握し、歴史上に正しく位置づけたい。そんな思いを注ぎ込んだ玉水焼の研究成果を、陶芸作家で樂家15代当主の直入(じきにゅう)さん(72)がまとめた。

 千利休の「わび茶」を体現する茶碗(ちゃわん)として名工長次郎が生み出した楽焼。以来、樂家の当主は代々吉左衞門を名乗り、その命脈を一子相伝でいまにつなぐ。

 17世紀の元禄年間、楽焼から派生したのが玉水焼だ。4代一入(いちにゅう)の家督を5代宗入(そうにゅう)が継ぐ一方で、一入の庶子一元(いちげん)は母方の里である山城国玉水村(現・京都府井手町)に窯を開いた。一元の血筋は3代で絶えながらも窯自体は細々と続くが、やがて近代化の波にのまれて消えていく。その来歴は混乱し、作者不明のうつわも多いため、玉水焼に正当な評価がなされてきたとは言いがたい。

 「歴史的にわからなくなって樂家の作品と間違われているものもある。それは、玉水焼とは何かが系統立てて確立されていないからです。作品にはいいものがあり、もっと認知してもらいたいとの気持ちがあった」

 このほど刊行された『玉水焼 歴代の作品とその歴史』(淡交社)のなかで直入さんはまず、作品の印や作者の銘、茶碗を納める共箱の書き付けなどをもとに基準作を抽出し、それを土台として一元らの作品の検証を進めた。製品の類型設定は考古学的な型式分類の手法に通じ、史料批判を通じた文献記録の洗い直しは歴史家さながら。無用な推測を抑えて客観的な考察に徹する姿勢は、ともすれば主観的な評価に走りがちな伝統工芸の世界に再考を促したいとの使命感さえ感じさせる。

 その結果、父一入をはじめ光…

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