ドイツから野球の神様に会いに来た 強豪校の副主将に

佐藤瑞季
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 なぜグラウンドに頭を下げるのか。岐阜第一のツィマーマン健君(3年)は4年前、日本で初めて本格的に野球をしたとき、不思議に思った。

 「球場には野球の神様がいるんだよ。ちゃんとあいさつしていると、いいことあるぞ」。プロ野球の横浜と巨人で活躍した外野手屋鋪要(やしきかなめ)さん(62)が教えてくれた。その言葉を聞き、日本で野球をしようと決意した。

 ドイツ人の父と日本人の母を持つ。兵庫県明石市で生まれ、阪神ファンの父の影響で、幼少から友人や家族と一緒にバットとボールを持って遊んでいた。

 7歳のころに渡ったドイツでは、野球がマイナースポーツで、テニスやサッカーに取り組んでいた。

 11歳のころ住んでいたハンブルクで、たまたま学校近くのスポーツクラブに野球チームがあると知り、加入した。

 U―15の北ドイツ代表となり、周辺地域の代表が参加した国際大会で最優秀投手賞に輝いた。いつしか「ここでできることは限られている。もっとレベルの高い野球をしたい」と思うようになっていた。

 転機は14歳の夏。家族旅行で訪日した際、大阪府であった小中学生向けの4泊5日の合宿に参加した。そこで日本の野球文化に魅せられた。「野球の神様」の話を屋鋪さんから聞いたのも、この合宿だった。

 グラウンドに頭を下げるだけでなく、スパイクやグラブをきちんと磨く。練習では皆が声を出し元気がいい。どれも新鮮で、行動の一つひとつから日本人がいかに真剣に野球に取り組んでいるのかを知った。

 ここで野球がしたい。本気で取り組んでもっとうまくなりたい――。当時日本語は片言で、漢字もろくに書けなかった。それでも日本へ行きたいと両親を説得した。父親はさみしがったが、最後は家族みんなが背中を押してくれた。

 合宿から約3カ月後、岐阜県可児市に住む叔母を頼りに来日した。3日後には地元中学の軟式野球部の門をたたき、左翼手に。高校は強豪の岐阜第一に進んだ。

 チームメートには強打者や好投手がおり、「今までとレベルがまったく違った」。寮に帰った後も筋トレや素振りをしたが、なかなか正選手に技術面で追いつくのは難しかった。

 何ができるだろうかと考えた末、声出しや、あいさつといった「当たり前のこと」をしっかりやろうと決めた。昨秋の新チーム発足で副主将に選ばれた。「姿勢が評価してもらえたのかな」とうれしかった。

 田所孝二監督(61)は「一番元気がいい。声も出る。誰よりも大和魂があって欠かせない存在」と話す。

 副主将としての役割を果たし、今夏はベンチ入りし、左翼手と一塁コーチを任されそうだ。部の目標は甲子園出場。「プレーはもちろん、試合中の声かけでチームを引っ張っていきたい」と意気込む。

 目標はもう一つある。コロナ禍で高校入学後に一度も会えなかった家族が来日する。「3年間、日本の野球で学んだこと、成長したところを見てもらいたい」

 毎晩スパイクやグラブの手入れは欠かさない。大きな声であいさつを続ける。「きっと野球の神様が見ているから。礼儀や日々の行動から整えていきたい」(佐藤瑞季)