両投げでピンチ乗り越えた主将 昨夏大敗も「福となす」

木村浩之
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 右でも左でも打てる両打ちの選手はいる。でも、右でも左でも投げられる「両投げ」の選手は、あまり聞かない。都立東大和の堤颯太主将(3年)は、そんな珍しい球児の一人だ。

 両投げは、堤主将がピンチを切り抜けた証しだ。

 小学5年生の時のこと。右ひじの外側に痛みが出て、医師に診てもらった。伝えられた言葉は「3年間ボールを投げないで」。そこで考えたのが「じゃあ左で投げればいい」だった。

 右手にグラブをはめてキャッチボールを繰り返し、左手で箸を持った。文字も左で書き、生活の様々な場面で左手を使った。半年ほど経つと、右腕と同じような強い球を投げられた。

 中学生になってからは左打ちにも挑んだ。左投げに合わせ、バランス良く、力強く体重移動させるためだ。右ひじは完治したが、結果的に両打ちも習得できた。高校で正捕手になってからは、さすがに左投げで捕手を務める機会はなくなったが、下級生の頃は左利き用グラブでよく外野の守備についた。

 まさに「禍(わざわい)転じて福となす」。ピンチに直面しても、普段通りに落ち着いていれば乗り越えられる。堤主将はそう思っている。

 そんな東大和にとって、昨夏の独自大会は「禍」だった。西東京大会3回戦で強豪・東海大菅生に0―11の6回コールド負け。ベンチから見つめた堤主将は、チームメートが緊張し、表情も硬く声も出ない様子を覚えている。投手は四球を連発。打者はぎこちない振りで好機を逸した。

 自滅だったが、「普段通りの野球をすれば勝負できた」とも感じた。得意のあの精神が発動した。

 この経験を、チーム全体の教訓にしよう。普段から試合の緊張感を出すことを心がけた。シートノックでエラーすると「もう1本」と再挑戦する部員には、「試合にもう1本はない」と1球に集中するよういさめた。スローボールを打つ練習で芯を外すと、「ゆるい球をなぜ打てない?」などとあえて厳しく言った。

 昨夏、同じくベンチ入りしていた川島慶土投手(3年)も、同じ思いで1年を過ごしてきた。東海大菅生戦は最終回に登板し、四球連発で4失点。緊張でフォームが崩れた。一方で「余計な四球を出さなければ抑えられる」という手応えも感じた。数メートル先のネットに向け、試合の場面を想定しながら内外角に投げ込む練習を重ね、どんな状況でも同じ球を投げられるようにフォームを固めた。

 一昨年までの20年間で東・西東京大会を制して夏の甲子園に出場したのは大半が私立。公立は東東京の雪谷(2003年)、城東(01年)しかない。

 東海大菅生に大敗した昨夏。同時にどこか別世界だった夢舞台を少し身近に感じられるようになった。そしてこの1年、「普段通りの野球」で自分たちの力を発揮できるよう、練習を重ねてきた。堤、川島両選手は言う。

 「今年は強豪校の名前に圧倒されることはない。戦う準備はしてきた。甲子園は、遠い場所ではない」(木村浩之)