「楽な方へ逃げた」男の人生 取り戻せぬ記憶と死刑判決

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林瞬、佐々木凌、笹山大志
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 茨城県日立市の県営アパートで2017年10月、妻子6人を殺害したとして、殺人と非現住建造物等放火などの罪に問われた小松博文被告(36)の裁判員裁判が30日、水戸地裁であり、小松被告に死刑判決が言い渡された。

 小松被告は18年11月、心不全などで心肺停止状態に陥り、後遺症で事件当時の記憶を失ったとされる。

 12回の公判を通じて、小松被告は終始どこかひとごとのようだった。検察官に事件に至る動機を聞かれても、「覚えていない」と繰り返すだけで、事件について語ることはなかった。

 朝日新聞水戸総局の茨城県警担当記者は、被告が記憶を失ったと主張を始める8カ月前から接見を重ね、手紙でのやりとりを続けてきた。接見は25回。計87枚の便箋(びんせん)につづった「手記」も寄せていた。小松被告は接見や手記では、事件に至る経過や心境の変化を詳細に語っていた。

 起訴状によると、小松被告は17年10月6日未明、妻の恵さん(当時33)、長女の夢妃(むうあ)さん(同11)、長男の幸虎(たから)さん(同7)、次男の龍煌(りゅあ)さん(同5)、双子で三男の頼瑠(らいる)さん(同3)、四男の澪瑠(れいる)さん(同3)の胸や背中を包丁で複数回刺した上、ガソリンをまいて放火し、殺害したとされる。

父に甘やかされて

 小松被告は1984年、東京都江戸川区で生まれた。父はトレーラーの運転手、母は主婦。母は教員が多い家系で、厳しくしつけられたが、父は、年を重ねて生まれた小松被告に甘かったという。手記によると「蜂蜜に砂糖のように甘い」と周囲に言われていたとつづっている。

 接見では「デパートに行けば、父は何でも買ってくれた」と記者に話した。運転免許を持っていないのに、バイクを買い与えることもあった。供述調書ではこう語っていた。「自分が子どもの頃に学ばなかったのは、我慢をすること。金持ちではなかったが、お金のありがたみを学ぶことができなかった」

 手記では大人になるまでの生活を振り返り、自らの性格について記した。

 小松被告が幼稚園に入った頃…

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