あの教室を作っておけば 大川小の設計者、悔いと戸惑い

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編集委員・石橋英昭
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 東日本大震災で児童・教職員84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小学校が7月、震災遺構として公開される。かつて子どもらの歓声に満ちたまなびやは、論争の時を経て、悲劇の教訓を伝える場になった。校舎を設計した建築家は、悔いと戸惑いを抱えながら見つめている。

 東京在住の北澤興一さん(83)が設計し、1985年春に完成した。妻の実家が合併前の旧河北町にあった縁で、町役場など町内のいくつかの公共建築を引き受けてきた。

 当時の児童数330人。2階建ての校舎は北上川を背に弧を描き、棟続きの円形校舎には低学年の教室やプレールームを配した。校庭には全校児童が客席に座れる野外ステージも。直線廊下に四角い教室が並ぶのが学校建築の主流だった時代、その斬新さはテレビニュースにもなった。

 町教委からの注文は「耐震性」だった。

 ボーリング調査をしてみると、約20メートル下まで軟らかなシルト層。北上川の氾濫(はんらん)でできた堆積(たいせき)地盤は極めて軟弱で、追加予算が認められ、200本以上のコンクリート杭を深く打った。一方で、河口から約5キロ上流のここまで津波が到達するとは、思いもよらなかったという。

震災後、ずっと口を閉ざしてきた

 後悔はもう一つある。

 設計案を練っていた頃、学校…

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