「思いがあまりにも違う」 分断生む東京五輪、医療現場や被災者の声

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 コロナ禍による緊急事態宣言が出される中、多くの疑問や反対の声を残したまま開幕した東京五輪。ほぼ全ての会場で無観客となるなど、異例ずくめの大会は8月8日まで続く。

 その「平和の祭典」を複雑な心境で見つめる人々がいる。国立競技場建設のため転居を余儀なくされた人、逼迫(ひっぱく)する医療現場で奮闘する医療関係者、長引く営業の自粛要請に苦しむ飲食店経営者、そして、「復興五輪」の大義から取り残された被災者たち――。

 それぞれの目に、五輪はどう映っているのだろうか。現場を歩いた。

霞ケ丘から追い出された

◇住み慣れた町を去って◇

 「空の色だけは、あの時と同じです」。開会式を迎えた7月23日、東京都杉並区の自宅近くで、甚野(じんの)公平(こうへい)さん(87)は青空を見上げ、目を潤ませた。

 57年前の夏、航空自衛隊ブルーインパルスがスモークで描いた五輪のシンボルマークを国立競技場近くで見た。今回は遠く、見ることができなかった。「心の中には、五輪マークが浮かんでいる。うれしいような、つらいような、複雑な感情が湧いてきます」

看護師から届いた悲痛なメール

 国立競技場が立つ、東京都新宿区霞ケ丘町で生まれ育った。1964年の前回大会に伴う競技場建設で生家は取り壊されたが、すぐ近くに建てられた都営霞ケ丘アパートに移り住み、50年以上暮らしてきた。しかし再び、新たな競技場建設のため同アパートは解体、全235世帯の住民が退去を余儀なくされた。アパート跡地の一部は、観客のための歩行デッキへと姿を変えた。しかし、五輪は無観客となり、そこに人影はほとんどない。

 「我々はオリンピックで引っ越さざるを得なかった。誰からも喜ばれる五輪であってほしい」。80年以上慣れ親しんだ町を離れた甚野さんの願いだ。

「イチかバチかの賭けを、国民の命を賭けてやってもらっちゃ困る」。高橋院長は訴えます。記事後半ではスポーツバーや海鮮居酒屋の店主、福島第一原発4号機で働いていた男性の声をお伝えします。ドキュメント動画もご覧いただけます。

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