万葉学者を育てた 司馬遼太郎さんとの出会い

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聞き手・上原佳久、写真・筋野健太
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 「万葉集」研究の第一人者、国文学者の中西進さん(91)は還暦を前に関西に移り住んだ。以来、在住歴は30年を超える。東京出身者が離れがたく感じた関西の人と文化の魅力とは? 関西を拠点に万葉文化を研究することで、見えてきたものについても語ってもらった。

 ――1987年、国際日本文化研究センター日文研京都市)の教授に就任したのが移住のきっかけですね。

 「初代所長を務めた哲学者の梅原猛さんから誘われて、創設にも携わりました。当初はショッピングセンターに間借りしてのスタートです。でも、それも楽しい経験でした。父母は香川県出身。子どものころから、白みそ丸餅の雑煮など、関西文化になじんでもいました」

 ――最初から、骨をうずめるつもりで?

 「いえ、たくさんのいい出会いがあって、いつの間にか居着いてしまったのですね。よき関西人と言った時、真っ先に思い出すのが作家の司馬遼太郎さんです。『銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも(銀も金も玉だって、何の役に立つだろう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか)』などの歌で知られる山上憶良(やまのうえのおくら)という万葉歌人がいます。私は『憶良は渡来人だった』という説を唱えたのですが、国文学者からの評判はいまいち。そんな時、いち早く賛同してくれたのが司馬さんでした」

司馬さんと高級料亭へ行ったときのこと。おかみさんが司馬さんに提案した、ある「大阪名物料理」に中西さんは驚き、関西文化の神髄を感じたといいます。その料理とは?

■司馬さんとの交流 人間教育…

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