64年東京パラが教えてくれたこと 関係者が語るあの時

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荻原千明
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 東京パラリンピックの開幕まで5日で50日。東京は世界で初めて夏のパラを2度開く都市になる。「日本の社会を変えた」と語られる1964年パラ大会とはどんなものだったのか。会場に身を置き、何かを持ち帰った人たちを訪ねた。

 64年11月8日朝。28歳の都職員だった船津英夫さん(85)は、代々木の陸上競技場「織田フィールド」に向かった。直前にあったオリンピック(五輪)は仕事の都合で行けなかったが、「パラリンピックという障害者のスポーツ大会がある」と知り、趣味の8ミリカメラで撮ろうと思った。

 開会式は午前10時からで、入場は無料。会場内もあちこち動き回れた。「なんだか、大きな会社の運動会みたいだ」。紅白幕が下がり、進行も緩やかで、のどかな空気に包まれていた。

 船津さんの手元に残る約8分30秒のカラー映像が記録するのは、「語学奉仕(LANGUAGE SERVICE)」と腕章をつけた女性たちや投てきする選手の車いすを固定するボーイスカウト。「初めて見た」という車いすバスケットボールでは、きびきびとさばく審判員の姿も追う。「大勢の人に支えられて成り立っている大会なんだ」と感じてレンズが向いた。

 木製のスロープや青空が透けて見える仮設の観客席も映した。「いかにも急ごしらえ。五輪だったらこんなことはなかっただろう」。それは自分を含めて人々が寄せる「障害者への関心の乏しさ」を表しているように思えた。

 船津さんは定年後、精神障害…

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