「さみしかです」豪雨から1年、熊本の被災地で追悼式
最愛の人を失った豪雨災害から1年。記録的な豪雨で球磨川が氾濫(はんらん)するなどして甚大な被害を受けた人吉・球磨などの各地では4日、多くの人が手を合わせた。
21人が亡くなった熊本県人吉市では、「人吉スポーツパレス」で追悼式が開かれた。
父親を亡くした人吉市の永尾禎規(ていき)さん(57)は母親らと一緒に参列。「安らかに眠ってください」と祈りをこめて献花したという。
漬物店を経営する永尾さん。被災直後は物資がないなか、2日後には仕事場に向かった。仮設団地への引っ越しなど、生活の立て直しにも追われた。「悲しみよりも、がむしゃらに生活してきた1年間だった。早かった。あっという間だった」と話した。
追悼式の前日には、静岡県熱海市で起きた大規模な土石流のニュースを見た。「こういうことは突然起こる。いつどこで何があるかわからない。これ以上被害が大きくならないようにと思う」と話した。
災害関連死で90代の父親を亡くした同市の女性は「本当にあっという間だった。まだ父がいるような感じがします」と振り返った。父親は豪雨翌日の昨年7月5日に避難所で転倒して入院し、亡くなった。「みとることができたのが、せめてもの救いだと思っている。でも、豪雨がなければ、避難所に行くこともなかったんですよね」
兄を亡くした男性も追悼式に訪れた。「生きていれば89歳になるはずだった。兄がおらんちゅうだけでさみしかです」と話した。(大木理恵子)
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熊本県球磨村神瀬では4日、豪雨で亡くなった人をしのぶ集いが行われた。100人ほどが集まり、法要をした後、地区を流れる川内川にヒマワリや菊などを流す「花流し」を行った。
地区出身で、同村の特別養護老人ホーム「千寿園」で亡くなった大岩ユウコさん(当時83)の三男広典さん(50)も集いに参列し、静かに手を合わせた。
ユウコさんは神瀬で生まれ育ち、米や雑貨などを扱う「大岩商店」を切り盛りしていた。美空ひばりの歌やお酒が好きで、明るい性格だったが、足腰が弱くなるなどして、数年前に千寿園に入所した。
広典さんは被災前年の12月、ユウコさんの誕生日を祝いに千寿園に行った。元気そうな様子で、まさかそれが最後になるとは思ってもいなかったという。
昨年7月4日は未明から消防団の一員として住民の救助にあたっていた。身一つで逃げたため、携帯電話も持っておらず、2~3日後に人づてにユウコさんが亡くなったと聞いた。最近でも、ラジオからユウコさんが好きだった歌が流れると生前の姿を思い出す。気持ちの整理はまだつかないという。
現在は村内の仮設住宅に暮らし、1~2日に1回は神瀬の様子を見に来る。母や自分が生まれ育った神瀬は人があたたかく大好きだという。「これからの神瀬を守ってほしい」とユウコさんへの思いを込めて、川内川に白い菊を流した。(堀越理菜)
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4人が死亡、1人が行方不明となった八代市坂本町では、市立坂本中学校体育館で追悼式が行われた。81歳で亡くなった稲荷正一さんのおいにあたる会社員、蓑田政晴さん(70)が遺族を代表して追悼の言葉を述べた。
稲荷さんは蓑田さんの母親の…