私は帰れない ピエリアンアウンの掲げた手①
ゴールの枠ぎりぎりに飛んだボールを軽々とはじく。右へ、左へ。長く伸ばした手でシュートを阻むたび、子どもたちは天を仰ぎ、歓声をあげた。
サッカー・ミャンマー代表のゴールキーパー、ピエリアンアウン(27)は6月27日、大阪府内の小学校グラウンドにいた。たった一人、紫色のミャンマー代表チームのユニホームを着て、少年サッカーチームの練習の輪に加わった。
1カ月前、千葉市であったサッカーのワールドカップ(W杯)アジア2次予選。日本代表との試合で、テレビカメラに「3本指」を掲げた。母国でクーデターを起こし、民政を武力で覆した軍に対する抵抗のポーズだ。ニュースで取り上げられ、反響が広がった。
「帰国すれば、命が危ない」
「知ってほしい、この国のこと」ピエリアンアウンさんの肉声
「冗談だろ」。クーデターの日、代表チームの合宿に参加していたピエリアンアウン選手は耳を疑ったといいます。その後、日本を訪れて難民申請に至るまでの緊迫の日々を、朝日新聞ポッドキャストに出演して証言しました。記事後半ではその音声をお聞きいただけます。
中継をみていた在日ミャンマー人たちの手助けで、帰国する代表チームから離れたのが10日前。支援者のもとで暮らし、日本政府の難民認定を待つ。
ミャンマーにいる父親や兄弟は無事なのか。再び会うことができるのか。自分の将来はどうなるのか……。じっとしていると、不安と心配に襲われる。だが、ボールを蹴れば、すべてを忘れることができた。
子どもたちとの交流を終え、「日本に来て一番楽しい時間だった」と笑顔で語ったピエリアンアウン。代表のユニホームを脱ぐと、その場でゴールキーパーの男の子にプレゼントした。
関西空港でミャンマーへ帰国する飛行機への搭乗を拒んだとき、手元に残ったのは、手荷物のかばんひとつだった。その中にしのばせていた、ただ1枚の代表ユニホーム。
「自分が子どもの頃、海外の…