京都・伏見の寒天誕生の物語 主人は偶然を逃さなかった

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北村有樹子
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古都ぶら

 京都・伏見といえば、日本酒。名物はほかにもある。(北村有樹子)

 降り立ったのは、京阪本線の伏見桃山駅。酒蔵めぐりに使う人が多く、西側には多くの酒蔵が点在し、有名な月桂冠大倉記念館もある。

 私のお目当ては、駅から伏見大手筋商店街を抜け、さらに歩くこと10分弱の京都市立伏見中学校の正門横にあった。「寒天発祥之地 伏見区御駕籠町(おかごちょう)」と刻まれた石碑だ。

 地元で育った子たちは、伏見がお酒の町だけでなく、寒天の発祥地でもあると知っているのか。

 私はこの商店街の近くにあった病院で生まれ、京都市で育ったが、伏見が寒天ゆかりの地とは、最近まで知らなかった。詳しく知りたくなって、調べた。石碑のことを知り、たどり着いたのがここだ。

 さらに深掘りするため、江戸時代に創業した乾物店、植野伝次郎商店の7代目店主だった植野彰さん(61)を訪ねた。伏見寒天プロジェクトの代表だ。

 乾物を扱っていた植野さんが寒天と関わるようになったきっかけは、約20年前のこと。仕事がら海藻に関する文献を見ていたところ、寒天発祥の地が「伏見区御駕籠町」としている書物を見つけたのだ。

 店では海藻を仕入れて寒天を作り、明治まで売っていたというような記録はあったが、「伏見で誕生したものだとは聞いたことがなく、驚いた」そうだ。

 専門書などによると、寒天は偶然生まれた。

薩摩藩主の料理がきっかけ

 それは17世紀半ばのこと。薩摩藩主が参勤交代の途中で伏見の旅館、美濃屋に泊まった。テングサを煮て作った「ところてん料理」の食べ残しを外に捨てたところ、冬場の寒さで凍結。それが日中の気温で溶けて乾燥し、干物になった。これをヒントに宿の主人が作って売り出したのが、寒天だという。

 「この史実を多くの人に知ってほしい」。植野さんは4年前に仲間5人でプロジェクトを立ち上げ、講演会や寒天を使った料理教室などを開いてきた。昨年12月には、目標にしていた石碑も建立。寒天が生まれた旅館からほど近いという。隣には京都市が作った駒札もあり、「発祥の地とすることもほぼ確実である」と紹介していた。

 中学校の向かいで薬局を営む海老池徳子さん(59)はプロジェクトのメンバーの一人。「生徒が毎日目にする場所。覚えてもらいやすい」と期待する。

 話が一段落すると、植野さんが「寒天のおかげで生まれた名物が、もう一つありますよ」と言う。

 連れていってくれたのは、和…

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