第19回政府支援は「おとぎ話」 シリコンバレーの問題児の警告

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ワシントン=青山直篤
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断層探訪 米国の足元 第四部④

 冷戦終結後、世界はグローバル化をひた走り、企業はサプライチェーンの効率化を前提として経済成長を追求してきた。膨大な富が生まれる一方、格差の拡大や地域社会の弱体化は、民主主義を弱めた。新型コロナウイルスがもたらした危機は、時代の転機を告げている。ただ、一国に閉じこもる保護主義も答えにはならない。激動する市場と、統制色を強める国家とが織りなす「コロナ後」の世界。動揺するサプライチェーンの「断層」で針路を探る人々を訪ね、各5回構成で報告する。

 米国が半導体産業への国を挙げた支援にかじを切り、世界を巻き込んで「産業政策の再興」の機運が高まる。ただ、これに真っ向から異を唱える経営者もいる。かつてスカイウォーター・テクノロジーの半導体製造工場(ファブ)も傘下に収めていた、米サイプレス・セミコンダクターの創業者T・J・ロジャース(73)だ。

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米サイプレス・セミコンダクターの創業者、T・J・ロジャース=本人提供

 「政府は干渉だけで助けにならず、官民連携などあり得ない」。カリフォルニア州のオフィスと結んだオンライン取材に、ロジャースは断言した。米メディアに「米国で最も過酷なボス(上司)」「シリコンバレーの問題児」と呼ばれた筋金入りの自由競争主義者。半導体産業の支援に同調する世論が広がるいまも、まったく動じる気配はない。

 米半導体産業が急成長した1970年代、ロジャースは集積回路(IC)の世界にとりつかれ、75年にスタンフォード大学で博士号を得た。82年にサイプレスを創業。以来、生き馬の目を抜く半導体産業のグローバル競争のなかで、2016年まで34年間にわたって最高経営責任者(CEO)を務めた。

 自由競争至上主義の信念は一貫しており、米国の矛先が日本に向かっていた日米半導体摩擦の時も、政府の介入や米企業への支援を徹底批判していた。

 80年代、日本企業はデータを記憶する半導体メモリー「DRAM」を中心に急速に台頭し、激しい貿易摩擦に発展した。米政権・議会が主導する現在の米中貿易摩擦とは異なり、対日摩擦は、米企業と業界団体の米半導体工業会(SIA)が先導する形で進んだ。

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1980年代、日本の半導体産業の急成長は、米国との間で激しい貿易摩擦に発展した。東京の外務省で開かれた半導体分野の日米次官級協議=1985年6月18日、東京都千代田区霞が関の外務省、朝日新聞社撮影

 SIAは85年6月、日本の半導体市場が閉鎖的かつ不公正だとして米通商代表部(USTR)に提訴。日米政府は86年9月、日米半導体協定を締結した。公式の協定と非公式の「サイドレター」からなり、日本市場開放を促す「数値目標」的な規定や、「ダンピング」防止のための公正市場価格の設定を定めていた。

 しかし、米国製半導体の日本市場でのシェアは高まらず、米国は87年、対日制裁を発動。パソコンやカラーテレビなどに100%の制裁関税をかけた。協定が失効する96年までの時期は「日の丸半導体」が衰退していった時期と重なる。

 70~80年代、米国は当時…

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連載断層探訪 米国の足元(全30回)

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