控え部員、悩みつつ「引退」 監督と電話してあふれた涙

大坂尚子
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 第103回全国高校野球選手権大会の地方大会が本格化する。2年ぶりに大会は復活したが、球児や指導者たちは今年も新型コロナウイルスの影響を受け、制約のなかでこの夏を迎えた。時に悩みながら、逆境に立ち向かうその姿を追った。

 玉野光南の3年生、塩見健太は背番号1をつけ、まっさらなマウンドに上がった。

自分で決めた引退だけど

 5日、倉敷マスカットスタジアム(岡山県倉敷市)で関西(かんぜい)との引退試合が行われた。

 主に夏の大会でベンチ入りが難しい3年生にとっての集大成の場だ。新型コロナウイルス影響で例年より約1カ月、遅れての開催だった。

 塩見は3回を投げた。2失点したものの、右腕からの直球は自己最速139キロを計測した。

 「やってきたことは間違いじゃなかった」。そう言って、少し目を潤ませた。

 2日前、塩見は田野昌平監督(49)との電話で泣いた。

 練習試合の岡山工戦に先発し、3回を2失点。3月下旬に肉離れを起こした左太ももが痛み、下半身に思ったように力が入らなかった。球が荒れ、納得するにはほど遠い投球内容だった。

 昨秋も今春もメンバー外だった。最後の夏に懸けてきたが、「ベンチ入りできても、思ったような球は投げられないかも」。

 帰宅後も気持ちの整理がつかない。夜、散歩に出た。毎日、自転車で行く駅までの道のりをゆっくり歩いたら、答えが見えてきた。その場で監督の携帯を鳴らした。

 「関西との引退試合が終わったら、サポートに回ります」

 自分で決めたはずなのに、口にすると涙があふれ、とまらなかった。

 塩見が肉離れから復帰したのは5月の半ばだった。同16日、新型コロナの感染が拡大し、岡山にも緊急事態宣言が出された。

 出遅れを取り戻さなければいけないのに、実戦どころか部活動が禁じられた。

 自宅の庭でシャドーピッチングや体幹トレーニングに打ち込んだ。焦りをかき消そうと必死だった。

 6月、部活動は再開したものの、平日90分などの時間制限がつき、宣言解除までは対外試合もできなかった。

 数少ないチャンスを生かせないまま時間が過ぎていく。再び古傷が痛むようになった。十分なトレーニングを積めなかったからではないかと考えている。

 一足早く、高校最後の試合を終えた。「一緒に戦う気持ちは変わらない。絶対に甲子園に行こうとみんなに伝えたい」

コンバート、経験積もうにも…

 関西にも苦しみながら、区切りをつけようとした3年生がいる。

 田中将太は6番三塁で引退試合に先発した。

 昨秋、今春は控え捕手として公式戦のベンチに入った。5月、それまで兼ねてきた三塁にコンバートされた。経験を積もうにも、対外試合はない。部内の紅白戦でも出番は限られていった。

 主力のAチームから外れた。春夏通算21回の甲子園出場を誇る関西の部員数は約90人。Aチームから漏れるということは、夏の岡山大会でベンチから外れることを意味した。

 「試合がたくさんあれば必死に練習して結果を出したいとも思えたけど」

 どこか釈然としない気持ちを抱えたまま、ノックの補助や下級生主体のBチームの試合で審判を務めてきた。

 引退試合は3度出塁し、1打点。試合ができることがうれしくて、前日の夜は寝つけず、試合の間はずっと笑顔だった。

 「正直、コロナがなければという思いはあった。でもきょうでそのもやもやがすっきりした。あとは仲間を支えたい」

 岡山大会の開幕は10日。やっと、切り替えられた。

引退試合、今年も中止に

 集大成の場を用意できず、例年とは違う思いをメンバー選考にこめた指導者もいる。

 大府(愛知)は中京大中京(同)と2000年から引退試合を続けてきた。昨夏に続き、今年も中止になった。

 「今まで頑張ってきた3年生に努力は無駄じゃなかったと知ってもらう場。それがなくなってしまった」と野田雄仁(かつひと)監督(38)。

 一昨年まで夏の愛知大会のメンバー20人は、選手間投票の結果をもとに、監督がさらに数人を入れ替えるなどして決めてきた。

 今夏は、選手間投票で選ばれた3年生16人をそのままベンチ入りさせた。

 「外すか迷った3年生はいたけど、仲間からの人望が投票結果に出ていた。練習も実戦も少なかったからこそ、最後の大会ではチームの潤滑油のような存在が必要だと思う」(大坂尚子)