福田赳夫、政争に敗れて政策で勝った 五百旗頭真さん

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聞き手・大内悟史
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 8年がかりの準備を経て6月25日に出た『評伝 福田赳夫』(岩波書店)は、戦後日本保守政治史の空白を埋めようとする労作だ。福田赳夫元首相が残した膨大なメモなどの未公開資料に依拠し、イメージを覆す本格的な評伝だ。今なぜ福田赳夫元首相の再評価が必要なのか――。監修した政治学者、五百旗頭真兵庫県立大学理事長に聞いた。

 ――福田赳夫の本格的な評伝に取り組んだ経緯を聞かせてください。

 国際政治学者が集まると戦後、冷戦、昭和とは何だったのかが話題になるわけです。(東京大学名誉教授の)渡辺昭夫さんがまとめ役の共同研究「戦後日本形成の基礎的研究」の成果の一つに、渡辺編『戦後日本の宰相たち』(中公文庫)があります。戦後の歴代首相17人の列伝で、私は福田赳夫を担当しました。

 ――タイトルは「政策の勝者、政争の敗者」です。

 福田政権当時、私は米国のハーバード大学に滞在中で、非常に変わった面白い政権だと受け止めていました。発足当初は支持率が高くあとは逆落としになる政権が多い中で、福田は逆でした。(田中角栄〈元首相〉的な金権政治打破を訴えた三木武夫首相を退陣に追い込んだ)「三木おろし」のどん底から始まり、政策実績を積み重ねて評価を高めました。

 経済政策で言えば、(首相の座を争った田中が直面した)石油危機を「全治3年」とみて蔵相として立て直し、政権を握る頃には回復基調にありました。

 外交面でも東南アジア歴訪中に反日暴動に見舞われた田中の後を受けて1977年に「福田ドクトリン」を掲げて心と心が触れ合う協力関係を目指し、78年に日中平和友好条約を結びました。ロンドン(77年)、ボンのサミット(78年)では「端っこのお客さん」ではなく日米独がリードする「機関車論」を唱えました。世界協調が崩れて第2次大戦に転がり込んだ30年代の世界恐慌を繰り返してはならない、当時ロンドンに赴任した私は知っている、と極東からやってきた日本の首相が日米欧3極協力の精神を語る。「世界の福田」を自任していました。

 ――今回の評伝でも、福田の経済財政と外交の手腕を高く評価しています。

 経済政策でいえば、(戦前は世界恐慌下でともに蔵相を務めた)井上準之助や高橋是清(元首相)のもとで働き、簡単に言えば「山高ければ谷深し」という対処方針でした。池田勇人(元首相)や田中のようにイケイケドンドンでやると後でドカンとくる。景気が過熱すればぐっと我慢して抑え気味にして、冷え込んだら赤字国債を含めた金融財政を出動して谷に落ち込まないように温める。東京五輪(64年)後の反動不況も石油危機も蔵相として立て直すなど、日本経済という「患者」の脈をとる戦後一番の「名医」でした。高度成長から安定成長への時代の転換を準備したと言えます。

 大蔵省出身の政治家が少なくない中で、福田は省内の個性的な議論とその反対論の議論全体を見ながら、原則的立場ばかりではいけない、いまはこうだと常時切り分けることができた。そういうことができる人は大変少なく、実は福田だけでした。しかも大蔵省で鍛えた(政策の)技術能力と大局の図柄、つまり大きな世界の中で平和と国際協調という大義のために日本が果たす役割とが結びついていました。

 ――福田の再評価が必要だということでしょうか。

 (福田には)「ちぐはぐ感」があります。これほど政策がよくできた人がなぜいくさでは負けたのか。簡単に言えば田中という別格の人、普通の人ではない格別の人がライバルだったからでしょう。それまでの自民党総裁選も(複数派閥からカネをもらい票を投じる)「ニッカ(2派閥)、サントリー(3派閥)」などの「実弾射撃」がありましたが田中はケタが違う。

 福田は(佐藤栄作首相の後継…

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