砲台、地下壕…九州に眠る「戦争遺跡」訪ね歩いて30年

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島崎周
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 砲台や飛行場の跡など、九州各地には戦争にまつわる遺構がいまも残る。福岡市南区の江浜明徳さん(70)は、そうした「戦争遺跡」を30年にわたって訪ね歩き、300カ所以上を記録してきた。「『見ることができる遺構』を多くの人に知ってもらいたい」と、語り継ぐ活動を続ける。

 6月19日、福岡市博多区の冷泉公園。江浜さんは拡声機を持ち、約20人を前に語り始めた。

 「ここはもともと有数の繁華街でした。全部焼けて空き地になり、公園になった。広島の平和記念公園と同じです」

 第2次世界大戦末期の76年前のこの日、福岡は米軍による爆撃にさらされ、1千人以上が犠牲になった。江浜さんが案内したのは、この「福岡大空襲」の日に合わせて戦争の遺構や遺物を訪ねるツアー。密集する家屋を撤去して道幅を広げた「疎開道路」や、戦後に多くの軍人や海外居住者が引き揚げてきた博多港、老舗額縁店に残る防空壕(ごう)など12カ所を2時間半かけて巡った。

 福岡市学校司書をする小川真由美さん(40)は「生まれ育った街にこれだけの遺構があると知り、歴史の一つではなく、より身近に、生活の中にあると感じられた」。

まだ身近だった戦争の記憶

 江浜さんは福岡県久留米市出身で、高校教師として地理を教えていた。労働組合で平和教育を担当したこともあって、40歳くらいから戦争遺跡を訪ね始めた。教員らをかつての軍の港や演習場などに案内したり、文書や写真を小冊子やプリントにして生徒の学習教材に使ったり。組合の機関紙にも10年ほど連載した。退職後は退職金をつぎ込み、南九州や離島にも足を延ばしてきた。

 郷土資料や戦前の地図から情報を集め、手のひらにおさまるノートとカメラを持って現地へ。関係者たちからも話を聞いた。メモをとられるのを嫌がる戦争体験者もいるため、話を聞いた時は、家に帰ってからノートに書き留めた。

 子どものころ、戦争はまだ身…

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