聖火リレー始まる 川口で出発記念式 知事「若干、密」

堤恭太 川野由起、仙道洸
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 東京五輪聖火リレーが6日、埼玉県内で始まり、80人超のランナーが蕨市から所沢市まで、11市町の約17キロをつないだ。この日は式典会場や一部の沿道で多くの人が集まる場面も見られた。県内でのリレーは8日まで行われる。

 公道でのリレーが中止になった川口市で「出発記念式」が開かれ、青木町公園の炬火(きょか)台前に市内を走る予定だったランナー9人がユニホームとマスク姿で集まり、聖火が入ったランタンを持って記念撮影。その後、聖火を送り出した。参加した平林栄子さん(80)=同市=は2年前から、娘とリレー区間と同じ200メートルを走る練習をしてきた。公道を走ることはかなわなかったが、「人生の総仕上げのつもりでやりました」と話した。

 会場には一般客は入れず他のスペースと区切られていたが、周囲にはスマートフォンなどを手にした多くの人が集まっていた。犬の散歩で通りかかったという近くの中島亘さん(74)は「コロナでイベントをやめると聞いていたので、思ったより人が多く、密になっていてびっくり」と話した。

 式に参加後、大野元裕知事は定例会見で、「正直、若干密になるところもあったと私も思っていた。あれを教訓として(感染対策を)きちんとやれという指示はした」と話した。スポンサー企業に沿道でのグッズ配布の自粛も求めるなどしているという。

 式を主催した川口市は来賓は1人も呼ばなかった。会場での準備も当日に行ったが、奥ノ木信夫市長は式のあいさつの中で「密を避けるために簡素な式典にするはずだった。大勢のみなさんが集まる予定ではなかった」と述べた。

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 聖火リレーのスタート地の予定だった埼玉県川口市の青木町公園にある前回東京五輪の炬火(きょか)台(聖火台)のレプリカと旧国立競技場聖火台は、川口の鋳物師(いもじ)で名工と呼ばれた鈴木萬之助さんと文吾さん親子(ともに故人)が製作した。本来はレプリカが五輪本番で使われる予定だったが、製作中に壊れたため新たな聖火台を仕上げて聖火をともした。

 今回のリレーの第1走者の予定だった鈴木昭重さん(86)は文吾さんの末弟で、その製作にも関わった。前回五輪の開会式で点火の場面を見た時に感動して自分も聖火ランナーをやってみたいと思い、その夢がかなうはずだった。この日に備えて自転車に乗り、ウォーキングで走れるように体を造ってきただけに残念がった。

 記念撮影などを終えた後、昭重さんは「それでもね、今日は兄貴の命日。年も今の俺と同じ86歳。神様のいたずらかと思った。朝、聖火台(レプリカ)の前で手を合わせて、聖火が無事運ばれるように祈ったよ」と顔をほころばせた。(堤恭太)

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 戸田市では、ボート軽量級ダブルスカルで2008年の北京五輪に出場した浜田美咲さん(38)が最終区間を走った。浜田さんは1964年東京五輪の20キロ競歩代表で、今年亡くなった石黒昇さんの写真と共に聖火をつないだ。

 石黒さんは2度目の東京五輪聖火ランナーとして地元の戸田市を走る予定だった。だが、コロナ禍で大会延期が決まった昨年から体調を崩し、今年2月、88歳で亡くなった。「競歩はこうやって歩くんだぞ」。そう言って自宅でおどけながら撮った写真を、長女かおるさん(59)が浜田さんに託した。

 学生時代の新聞配達で鍛えた健脚を誇った石黒さんは駅伝選手を夢見たが、大学時代に結核にかかり、競歩に転向。働きながら練習を重ね、五輪出場を決めた。五輪では頭一つ大きい世界の選手たちを相手に奮闘。日本勢最高の記録を残したが23位に終わった。

 引退してからは自宅に後輩を呼んで合宿をするなど、現役選手のため力を尽くした。後輩の活躍する記事を切り抜いたスクラップブックは約50冊にもなる。

 「東京五輪を2回も経験できるなんて」と聖火リレーを心待ちにしていた石黒さん。行きつけの飲み屋からリレーで使う車いすも借りていた。

 浜田さんは、五輪会場で子どもを連れて歩く女性選手たちに憧れ、出産後も競技を続けた。何度もくじけそうになったが、18年の全日本選手権では長男と共に表彰台に立った。

 自身の経験から、石黒さんが生前に語っていた「若い人には何でもいいから好きなことに打ち込んでほしい。いつかその努力が実になる」という言葉に共感した浜田さんは、「石黒さんとともに、この思いを伝えたい」と約150メートルを走りきった。「今は先が見えない不安の中で皆さんいろんな我慢や努力をされているけれど、いつか絶対幸せな時が来るはずです」

 妹らと浜田さんのゴールを見守ったかおるさんは、あふれる涙をぬぐった。「父の魂も天国から降りてきて、一緒に走れたんじゃないかな」(川野由起、仙道洸)