映画青年を触発したのは演劇だった 行定勲が浴びた洗礼

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聞き手・井上秀樹
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 原田マハ作の舞台「リボルバー~誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?~」の演出を手がけるのは行定勲映画「世界の中心で、愛をさけぶ」などで知られる監督は、創作の原点に絵画と演劇があった。映画と舞台の違いや、かつて浴びた「洗礼」について語った。

映画を撮るたび思い出す

 ――19世紀末の西洋絵画の業界が題材です。興味があったのでしょうか。

 ええ。ゴーギャンの絵が好きで、ゴッホよりいい。というのは、子供時代に、絵画教室通ってたんですね。で、昔話やおとぎ話みたいなものをお題に出されて僕が描いたものと、ある先生が、ゴーギャンの絵を見せて比べるわけ。「この人はすごい評価をされているんだけど、君が描いたのとさして変わりないよ。自分が見えた色で自由に描いていいよ」って言われた記憶があるんですよ。

 印象派とか昔から描かれてる西洋絵画には影があるんですよ。それがゴーギャンにはほぼないんですね。すべてを並列に、描きたいことだけを描いているってことをあの先生は言ってた。映画を撮るたびにいつも、ゴッホやゴーギャンみたいな絵は絶対撮れないなと。僕の仕事は陰影を作るんですよね。べたっとしたライティングになっちゃったら、実体が浮き彫りになれないんで、やっぱり影を作っていくほうがかっこいいとか、美しいっていう概念があるんだけど。彼らの絵はそうじゃないんですよね。

 「何でも描きたいものを描けばいいんだ」という絵画教室の先生の言葉を、映画を撮るときにいつも思い出すんですね。「おまえの映画わかんないね」って映画も作っていいはずなのに、わかってもらいたいっていう気持ちが、どうしても作る側の人間はある。拍手をもらえたとか、笑った、泣いたという言葉に形容されると、どっかでほっとするんだよね。自分の芸術性とか貫いてるものとは別で。

 ゴーギャンやゴッホは、売れ…

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