平成の怪物 マウンドを降りたら普通の17歳だった松坂

編集委員・安藤嘉浩
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 「怪物」と呼ばれる17歳は、マウンドを降りれば、ふつうの高校生だった。いつも仲間に紛れて、ニコニコと笑っている。横浜高のエースとして甲子園春夏連覇を達成した松坂大輔投手(40)は、良き指導者、仲間、そしてライバルにも恵まれ、球史に残る活躍と偉業を達成した。

 最後の夏を間近に控えた1998年6月。雨上がりでグラウンドが使えず、学校(横浜市金沢区)近くの公園でトレーニングする選手たちの中に、怪物の姿が見当たらなかった。「いつものようにマウンテンバイクをこいでいるはず」と渡辺元智監督に聞き、もう一度よく探してみると、頭からすっぽりタオルをかぶってバイクに乗る松坂を見つけた。

 ぼくの視線に気づいて笑顔で軽く会釈をするが、様子がおかしい。どうやら直前の遠征試合の内容が良くなかったため、監督から雷を落とされたらしい。そこで仲間とともに、頭髪を短く刈って出直すことになったという。

 「スースーする。かっこう悪いっす」。怪物は唇をとがらせて、苦笑いしながら頭のタオルをとった。「選抜大会で優勝し、せっかくスポーツ刈りを許してもらったのに……」。仲間とブツブツ言っている。

 週1日、トレーニングジムに通う電車に同行した日もあった。控え投手たちとかわす会話は、ワールドカップ(W杯)サッカーやゲームの話題だ。当時は身長179センチ、体重75キロ。飛び抜けて体格がいいわけでもなかったから、電車の中でも周囲に溶け込んでいた。

 「サボりのマツ」「一番風呂のマツ」。野球部長・コーチとして指導した小倉清一郎さんは松坂をそう呼んでからかっていた。「下級生時代は練習嫌いでね。3年生になっても、練習をあがるのが早いんだ。おれが戻ってくると、もう風呂から出てきやがる」。本人に聞くと、「寮の風呂で小倉コーチと一緒になると、ストレッチさせられたりして長くなるから、先に入っちゃうんです」と屈託なく笑っていた。

 球史に残るPL学園との延長十七回の熱闘は、松坂が序盤に打ち込まれて始まった。三塁コーチに出ていたPLの平石洋介主将(現ソフトバンクコーチ)が球種を見破っていたという逸話もあるが、松坂本人は「前の夜、2時間ぐらいしか寝られなかった。第1試合だから4時起き。監督から『睡眠薬いるか?』と聞かれたけど、もらわなかったんで」と打ち明ける。

 「PL戦ということで気持ちが高ぶったのかな。寝不足で、球場へ移動するバスで寝ちゃったんです。試合前のブルペンで体が動かなくて、やばいなと思った。そういうスキを見せてはいけないチームでしたね、PLは」

 のちに、そう話してくれた。

 この試合はバックがすぐ反撃に転じて延長戦に持ち込み、自身も投げるだけでなく、4番打者として打って走った。「プロになってからも色んな試合を経験したけど、あれ以上に苦しかった試合はないですね」

 先発を回避した翌日の準決勝は6点差を大逆転し、決勝は無安打無得点試合を達成して頂点に立った。

 「ぼくは完封で締めたいと思っていた。だけど、周囲は『それだけ?』という雰囲気があった。自分たちが一番自信を持っていたのは守備力。決勝も安打になってもおかしくない打球があった。バックがいてくれたから、安心して打たせることができたんです」

 18歳になった同年9月13日に高校日本代表のエースとしてアジア王者になり、10月28日にはかながわ国体の決勝で16三振を奪う快投を見せて高校野球を締めくくった。チームは公式戦44戦全勝。

 「無敗のまま終われて、すごく幸せです。でも、最初から強かったわけじゃない。みんなで、少しずつ力をつけていったんです」

 高校最後の優勝インタビュー。松坂はいつもと同じように、「みんな」の部分に力を込めていた。(編集委員・安藤嘉浩